「その人らしさ」は「その人のこだわり」から

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患者の「その人らしさ」は
どこまで理解できるのか

看護の現場を取材して歩くようになってずいぶんになります。この間ずっと気になっていながら「なるほど!!」と合点のいく答えを見い出せないでいることがあります。「その人らしさ」というフレーズです。

「その人らしさを尊重する看護」とか、「その人らしく生活できるように支援する」などの表現で、「よい看護」「理想とすべきケア」のキャッチフレーズのように使われています。ただ、「何をもってその人らしさ」とするのか、「その人らしさをどう見出すのか」等々、さまざまな方にお尋ねしてきたのですが、どうもスッキリしない――。

そもそも、その人自身ではない他者が、相手の「その人らしさ」をありのままに理解することなど可能なのでしょうか。逆に、ある取材で1人の看護師さんから、「あなたらしさは何でしょうと聞かれたら、どう答えますか」と問われ、答えに窮したこともありました。

そこで今回は、「その人らしさ」について、今一度考えてみたいと思います。

その人らしさが
その人を生き生きとさせる

先に私は、イギリスの臨床心理学者、トム・キットウッド(T. Kitwood)が提唱した「パーソンセンタード・ケアの中心概念が、「パーソンフッド(personhood)」、つまり「その人らしさ」であるという話を紹介しました。

看護現場を取材していると「その人らしさを尊重する」ことが「よい看護」の代名詞のような印象を強く受ける。では、この「その人らしさ」をどう理解し、日々の看護にいかに生かしていけば、その人らしさを大切にした看護になるのだろうか。

これは、日本を代表する老年精神医学者で、あの簡易知能評価スケール、通称「認知症スケール」を開発した長谷川和夫医師を取材した折に、うかがった話です。

そのとき長谷川医師は、「パーソンフッド」、つまり「その人らしさ」について、「アセスメントシートのようなものを使って割り出せるものではない」としたうえで、こんなふうに語っておられたことを印象深く覚えています。

「大事なことは、その方が病気になる前の、生き生きと生活していたときのことをイメージしてみることです。そのうえで、何がその方を生き生きとさせていたのだろうか、と探りながら、理解を深めていくしかないんだろうと思いますよ」

かつての生き生きとした生活の再現、再構築に向けて手助けをしていくことが、「その人らしさを尊重するケア」につながっていくのだろう、と――。

その人のこだわりと
その人らしさ

長谷川医師が言うところの、「その人を生き生きとさせていたもの」を知るには、なによりもその人のこれまでの生活を知り、その人の生活観とか価値観、精神性といったことまで、まさに全人的に理解する必要があります。

価値観とか精神性といったことには、その人が育った土地の風土や時代背景、習慣、家族構成などが大きく影響します。ですからその全てを知ろうとする努力が求められるでしょう。しかし、家族や近親者からその情報を収集するなどのできる努力はするにしても、そう簡単に知り得ることではありません。

そこで、より実現性のある方法として、「その人がこだわっていること」に注目してみてはどうだろうか、と提案しているのが、慢性疾患看護専門看護師の下村晃子さんです。

長谷川和夫医師は2021年11月13日、老衰のため逝去されたことが報じられています。92歳の大往生だったそうです。 合掌――。
亡くなる2年ほど前には、自らが認知症であることを公表。その体験を1冊の本にまとめ、認知症者は「何もわからなくなっている人ではない」ことを広くアピールしておられます。詳しくはこちらを。
⇒ 患者になった認知症専門医が語る認知症の世界

コミュニケーションを通して「こだわり」を探る

下村さんは著書のなかで、「その人らしさ」をこんなふうに定義しています。その人固有の価値観や意思、自然な姿など、「その人を特徴づけているものであり、その人がこだわっている生き方のスタイルそのもの」だと――。

さらに、その人らしさを知るには、患者とのコミュニケーションを通して、以下の点について探っていく作業が必要になる、としています。

  • 患者がこだわっているものはなんだろうか
  • なぜそれにこだわるのだろうか
  • 患者にある強み(持てる力)はどんなものだろうか

違いや変化に気づく感性が
その人らしさを知る一歩に

看護師として患者がこだわっていることに気づけるかどうかには、ちょっとした違いや微妙な変化に気づく能力、いわゆる「感性」が大きく影響します。

取材でいろいろな方にお目にかかっていると、驚くほど直感の鋭い方もいれば、失礼ながらそうでない方もいることに気づかされます。

この違いはどこからくるのだろうと、私なりに分析してみたことがあります。分析と言うには少しオーバーですが……。その結果、おぼろげながらわかってきたことがあります。

その人に会って自分が感じとることを大事にする

それは、直感が働く方は、アセスメントシートとかチェックリストといったものに頼るより、自分が見て感じとることを大事にしていることです。

一方の、自らの感性を働かせることよりも手元にあるアセスメントシートを埋めることに集中しがちな方は、患者が大切にしていることや関心を寄せていることになかなか気づくことができないでいるように、私には思えます。

だからアセスメントシートやチェックリストを使うな、という話ではありません。まずは自分なりの感性で患者をいったん受け止め、そのうえで何かしら気づくことがあれば、そこから話を始めてみる――。

この、最初に気づいたことから始まる話のなかに、その人がこだわっていることや大切に思っていることが垣間見えてくることは、医療現場に限らず通常の生活場面においても結構あったりするものです。

かかわる患者に関心を持てるかどうか

感性の鋭さは天性のもの、つまり生まれつきのものと考えがちです。しかし「自分は感性が豊かではないから」と思い込んでいる人でも、自分が関心を寄せている人や大切に思っている人のこととなると、直感が働くことはよくあるものです。

かかわる患者に関心をもち、趣味のことでも食べ物のことでも、共通の話題を見つけて話を深めていくと、自ずとその人らしさの一端がぼんやりと見えてくると思うのです。その意味で言えば、循環器専門医が患者の嗜好品を治療に活かす取り組みを行っている「嗜好品外来」の話は、「その人のこだわり」を探るうえで役立つのではないでしょうか。

「嗜好品外来」が開設されたとの報に、「その人らしさを大切にする看護」に通じると……。例えば食事療法では、「食べてはいけないもの」「控えるべきもの」だけを伝えがち。この外来はその逆の「その人の嗜好品で食べていいもの」を伝えるわけですから。

参考資料*¹:下村晃子著『生活の再構築―脳卒中からの復活を支える (SERIES.看護のエスプリ)』(仲村書林)