患者のセルフアドボカシーと看護のかかわり




セルフアドボカシーと情報

「セルフアドボカシー」という言葉に
リアリティが感じられない!!

このところ、取材を通して親しくなった看護師さんや看護教員の方々から、次のような趣旨の話をよく聞くようになりました。

「アドボカシーとかセルフアドボカシーという言葉に、どうもリアリティが感じられない。一部の専門家や研究者レベルでの話としてではなく、臨床で実際に患者にかかわっている看護師や看護学生が、この言葉の意味を正しく理解して、日々の実践に生かせるようにするにはどうしたらいいかか悩んでいる」

このようなお声に何らかのヒントをお返しできたらとの思いから、今回は、この「セルフアドボカシー」をテーマに思いつくまま書いてみたいと思います。

セルフアドボカシーの実践を
亡き麻央さんが見せてくれた

昨日(2019年1月14日)歌舞伎俳優の市川海老蔵さんが団十郎を襲名するとのニュースが繰り返し流れていました。そこにはまだ5歳の長男も登場しており、その姿を目にして、ふと彼の母親、小林麻央さんのことを思い出しました。

先に私はこのブログで、小林麻央氏ブログ再開とがんサバイバーシップと題する記事を書きました。その麻央さんは、2017年6月22日の夜、まだ34歳の若さで逝去されています。
この記事では、そのちょうど1年前、麻央さんが乳がんを発病して以来ずっと休んでいたブログを、まだ厳しい治療が続いているにもかかわらず再開されたことを取り上げています。

ブログで公表するという麻央さんの行動は、ケアを受けるだけの弱い存在というイメージが強い「がん患者」ではなく、治療やケアを受けながら家族や社会とも積極的にかかわりをもちつつ生活する「がんサバ―バー」として、この先も自分なりに生き抜いていこうとする前向きの姿勢の表れとみてとれる、といったことを書かせていただきました。

さらに続けて私は、麻央さんの気持ちがそんなふうに前向きになった背景についても、考えてみました。まさにそれは、麻央さんの「セルフアドボカシーの実践力」を高めるような強い働きかけがあったからではないだろうか、と――。

このように考えるヒントは、20年余りにわたり臨床でがん看護専門看護師として活動してきた近藤まゆみさんの著書のなかにありました。

セルフアドボカシーとは
「自己アピールすること」

近藤さんは、ご自分が体験してきた看護をベースにまとめられた著書『臨床・がんサバイバーシップ―“生きぬく力”を高めるかかわり 』(仲村書林)のなかで、「セルフアドボカシーとは〝自分のために自らの足で立つ〟ために、他の人びとや社会に自己主張していくこと」だとするスーザン・レイ(Suzan Leigh)氏の説明を紹介しています。
レイ氏とは、自身も重複がんの体験をもつアメリカ人看護師で、全米がんサバイバーシップ連合(NCCS)の元会長を務めた方です。

レイ氏のこの解釈のもと、近藤さんは、がん患者が、前向きの強さを併せもつ「がんサバイバー」として、がんを病むという自分が置かれている厳しい状況にひるむことなく、しかもその人らしさを損なうことなく、自ら前に進んでいけるように支援することが、これからの臨床においていっそう重要になってくるのではないか、と記しておられます。

つまりこれが、「がんサバイバーとしてのセルフアドボカシーの力を高める支援」ということなのだろうと、私は理解しています。

セルフアドボカシー支援と
意思決定支援

医療現場では、最近でこそ「患者相談窓口」に代えて「患者アドボカシー室」を新たに設置する病院も出てきているようです。
名称からみるかぎり、そこでのかかわりは、これまでの「患者サイドからの相談に応じる」というよりも「患者サイドの主張を聞く」というニュアンスがより強いように感じます。

しかしこうした動きはまだ一部の病院に限られています。全体としてみると、医療現場で働く方々にとって「アドボカシー」や「セルフアドボカシー」という言葉は、今一つ馴染みにくいという印象が、依然として強いように思います。

一方で、障害者福祉の現場に目を転じてみると、「アドボカシー」や「セルフアドボカシー」はケアの基本的な概念として、スタッフ間にすっかり定着しているように見えます。

意思決定支援は
セルフアドボカシー支援そのもの?

そこで、発達や学習に障害のある方たちを支援する特別支援学校で働く知人のYさんに、「医療現場にいる看護師さんたちは、セルフアドボカシーという言葉にあまり実感が湧かないようだけど、あなたはどう?」と聞いてみました。
これには意外な言葉が返ってきました。

がん医療や終末期医療を中心に、このところの医療現場では、「患者の意思決定支援」の取り組みが進んでいます。この意思決定支援が、「患者のセルフアドボカシーの力に働きかける支援そのものだと私は見ていましたが、そうではないのですか?」と、逆に質問されたのです。
この問いかけは私にとって大きなヒントになりました。

看護師さんら医療スタッフが現在取り組んでいる「意思決定支援」では、とかく治療の選択など、概して医療行為にまつわる患者の意思に限られがちです。
しかしそれだけで終わらずに、さらにそこに、たとえばがん治療と働くことの両立に関する意思決定支援を加えていく。就労だけでなく、もっと広く「この病とともに、この先どう生きていきたいのか」を患者に語ってもらい、それをどのように実現していくかを患者とともに考えていく――。

このように意思決定の項目を広げていくことが、患者がセルフアドボカシーを実践する力を高め、それを日々の生活に発揮していくことにつながっていくのだろうと、Yさんからの問いかけをヒントに考えてみたのですが、いかがでしょうか。

セルフアドボカシー支援の基本は
患者との「対話」にある

このように考えてくると、「アドボカシー」や「セルフアドボカシー」は、がん医療の現場におけるかかわりに限定されたものではなく、すべての医療、看護の基盤におくべき概念であることに、改めて気づかされるのではないでしょうか。

同時にこの支援を進めるうえでまず求められるのは、看護師さんら医療スタッフと患者とが対等の立場で病気や病気がもたらす生活への影響について語り合うということでしょう。
つまり両者間において双方向で交わされる「対話」こそが、セルフアドボカシー支援の基本的かつ有力なツールになるのだということに思い至ります。

よくよく考えてみると、がんを含むあらゆる病気は、すべてがきわめて社会的な出来事であり、その人の生活そのものと切り離して考えることのできないものです。
しかし、その人の生活の部分、またこの先への思いなどについては、たとえば治療法の選択の際に拠り所となるような標準的マニュアルもなければガイドラインもありませんから、もっぱらその人の情報提供を待つ、つまり自ら語ってもらうしかありません。

そういえば、一時期「ナラティブ(物語)」ということが、医療の世界で広く注目を集めたことがあります。ご記憶の看護師さんも少なくないでしょう。その動きはかつてほどではないものの、現在も静かに続いているようですが……。

セルフアドボカシー支援ということについて考えを進めていくと、そのナラティブ医療といったことにもつながっていくような気がしてきました。
このへんのことは、コチラの記事で書いています。よかったら読んでみてください。
「慢性の痛みの語り」を看護に生かして