「似顔絵セラピー」が患者に笑いや癒しを

似顔絵画家

「似顔絵を描く画家」と聞くと、もうずいぶん前に訪れたパリの郊外、モンマルトルの丘にあるテルトルと呼ばれる広場の風景が懐かしく思い出されます。そこにはたくさんの若き無名の画家たちが集まり、旅行客の似顔絵を描いていたものです。訪れた方も少なくないと思いますが……。

今日紹介するのは、同じ画家でも村岡ケンイチさんという、似顔絵セラピストの話です。

似顔絵のモデルの表情から
硬さがとれて微笑みが生まれる

先日ある学会で、大阪の病院で看護師長をしているKさんと久しぶりに会ったのですが、その時話題になったのが、似顔絵セラピーを行っている村岡さんのことでした。

関西から中国、四国地方の病院やホスピス、緩和ケア病棟、介護施設などを中心に、人知れず静かなブームになっていると言うのです。

「似顔絵を描くだけではないのよね。モデルになっているその人の、生活歴と言ってしまうとなんとも味気ないけど……。その人の今までの人生でどんな楽しいことがあったのか、どのような人と幸せな時間を過ごしてきたのか、最近はどんなことに興味があるのか、といったようなことをさりげなく聞き出しながら描き上げていくのよね」

モデルとなって村岡さんの前に坐った患者は、当然ながら、はじめのうちは少々の緊張と恥ずかしさからでしょう、一様に硬い表情をしているそうです。

ところが村岡さんが、「好きなものはなんですか」とか「楽しかった思い出はなんでしょう」などと尋ねながら筆を走らせていくうちに、モデルになっている患者の表情が少しずつ和らいでいき、やがて微笑んだりするようになってくるのだそうです。

村岡さんの描く似顔絵が
コミュニケーションツールに

似顔絵は1時間ほどで完成します。その間には、モデルの周りに数人の患者が集まっているのですが、完成した似顔絵を見ながら、「うーん、よく描けている」「〇さんも、こんなに優しい表情ができるんだ!!」などと会話が弾み、どっと笑いが起きたりもするそうです。

そんなときは、遠目にその様子を眺めている患者の家族や看護師、そして医師たちも、みんなが一様に納得した表情で頷いたり、笑い合ったりして、病棟全体が笑いに包まれ、やさしい空気が流れるのだと言います。

K看護師長との事前の話し合いのなかで、村岡さんは、「自分が似顔絵を描くことによって患者さんが笑顔になり、病気で沈みがちだった気持ちが少しでも明るい方向に向いてくれたらと思っている」と話していたそうです。

「笑顔で似顔絵の感想を語り合う患者さんたちを見ていて、なるほど村岡さんの描く似顔絵がコミュニケーションツールになっていると実感させられた――」

おそらく、そのときのことが頭に浮かんだのでしょう。K看護師長は和らいだ表情で、そう話してくれました。

似顔絵をただ描くのではなく
語り合いながら描き上げていく

話を聞いていて、「絵画療法」あるいは「臨床美術」*というアプローチがあることを思い出しました。いずれも音楽療法とならんで芸術療法、いわゆるアートセラピーの1つです。

*臨床美術は、「絵やオブジェなどの作品を楽しみながら創作することによって脳を活性化させ、高齢者の介護予防や認知症の予防・症状の改善、働く人のストレス緩和、子どもの感性教育などに効果が期待できる芸術療法(アートセラピー)の一つ」と説明されている。認知症の治療やケアの現場では、すでに20年以上の実績が積み重ねられている。
「臨床美術」をご存知でしょうか。絵を上手に描いたり、オブジェなどを上手に作るのではなく、自らの感性を働かせて個性を表現する創作活動に集中する時間が脳を活性化させ、認知症の予防や症状の改善につながるとして人気が高まりつつあると聞き、調べてみた。

音楽にしても絵画にしても、自ら表現することを通して精神状態に働きかけようというセラピーです。セラピーとは言うものの、治療だけを目的とするのではなく、こころのケアにさまざまなかたちで広く活用されています。

似顔絵のモデルになって坐っているだけでは、自ら表現することにはならないから、セラピーにはならないだろう、と考えがちではないでしょうか。

この疑問に村岡さんは、自らのブログのなかで、似顔絵セラピーについてこんなふうに記し、セラピーとしての意味を書いておられます。

似顔絵セラピーは、見たままの状況をただ描くのではなく、元気だった頃、楽しく働いていた日々や趣味に没頭していたときのことなどの話を出来るだけたくさん聞いて、イメージを膨らませながら描くところにセラピーとしての意味があるのです。
患者さんだけではなく、ご家族の方も時には一緒に入ってもらいます。
落ち込みがちな入院生活の日々のなかに第三者が入り、今までともに歩んでこられた楽しかった何気ない日常を思い出し、少しでも元気をだしてもらうのがいちばんの目的です。
(引用元:ケンイチの似顔絵セラピー*

モデルになる患者は、ただ受け身的に描かれているだけではありません。村岡さんと語り合うことを通して、描かれていく似顔絵にストーリーを盛り込むという役割を引き受け、似顔絵の完成に参加することで、自らのこころを動かしているのです。

似顔絵がもたらす笑いが
自然治癒力を高める働きを

描き上げられた似顔絵は、村岡さんからモデルになった患者に渡されます。

渡された患者の多くは受け取った自分の似顔絵を、病室の枕もとから見える位置に飾り、ときどきじっと眺めては笑みを浮かべたり、モデルになったときの村岡さんとのやり取りを看護師に語ってくれたりしているのだそうです。

「病状があまり思わしくなく、会話が途絶えがちだった患者さんが、同室の患者がモデルになって描かれた似顔絵を遠目に眺めながら、自分は行く先が見えなくて不安だと、ポツリポツリ話し始めたことがあります」と、K看護師長が話してくれました。

「笑うこと」が、かのナイチンゲール女史が提唱している「自然治癒力を高める看護」のもっとも手近で確かな方法であることは改めて言及するまでもないでしょう。

最近の研究では自己効力感、いわゆるセルフエフィカシーを高めるうえでも、笑いがプラスに働いていることが確認されています。この研究の詳細は、こちらで紹介しています。

笑いの効用としては免疫力アップがよく知られている。加えて今度は、自己効力感を高める効果を実証しようと、大阪国際がんセンターで研究がすすめられている。自己効力感は、慢性疾患患者のセルフケア支援に欠かせない視点の1つ。それだけに研究結果が待たれる。

このような、笑いや癒しをもたらす似顔絵セラピーの効用を自ら日々の看護に活用しようと、「似顔絵の描き方を習いたい」という看護師さんも出てきていると聞きますが、あなたもいかがでしょう。詳しくは村岡さんのブログ*を参照してみてください。

笑いやユーモアの看護の効用に関心のある方は、こちらも読んでみてください。

ジャーナリストのノーマン・カズンズ氏が、自らの膠原病を「笑いばして」克服した体験を公表して以来、笑いと治癒力の関係が注目されている。「自律神経のバランスが整う」「NK細胞が活性化する」結果とされる。看護師にユーモアセンス求められる所以だ。

*参考・引用資料:ケンイチの似顔絵セラピー