グリーフケアにもなるエンゼルケアは看護師が

寂しい

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「エンゼルケア」になって
「死後の処置」はどう変わった?

刑事もののテレビドラマが好きでよく観ています。たとえば、皆さんご存知の『相棒』ですが、殺人事件の被害者が霊安室に寝かされているところに遺族が本人確認にやってくる、というシーンが度々映し出されます。

こうしたシーンを見るたびに、「最近は違うはずなんだけどなぁー」と、テレビに向かってつぶやいてしまうのは私だけでしょうか。

ご遺体を演じている方の顔がアップにされると、鼻孔一杯に白い脱脂綿がはみ出すほど詰め込まれていることがよくあります。そのため顔の外見が大きく損なわれ、見た目の悪さだけが際立っているのです。

外見だけでも生前のその人らしさを

医師により患者の死亡が確認され、そこに居合わせた、あるいは駆けつけた家族や友人、知人が故人となった方との別れをひと通り済ませた後に看護師さんが行うケアは、慣習的に「死後の処置」と呼ばれてきました。

しかし、いつの頃からか「死後の処置」は「エンゼルケア」と呼ばれるようになっています。せめて外見だけでも生前の、元気だった頃のその人らしさを取り戻して旅立たれるようにと、姿かたちを調えるケアが行われるように変わってきているのです。ですから、亡くなった方の鼻孔に詰め込んだ白い綿が丸見えなどということはないはずなのですが……。

というわけで、今回は患者と死別して間もない遺族にとって、そしてその方の人生の締めくくりにかかわった看護師さん自身にとっても、悲しみを癒すグリーフケアとなるようなエンゼルケアのあり方について、少し考えてみたいと思います。

エンゼルケアを家族と行えば
双方のグリーフケアに

物事の認識、考え方を変える一番シンプルで手っ取り早い方法は、ひとまず言い方とか表現を変えてみることだと聞いたことがあります。ですから、「死後の処置」と認識してずっとやり続けてきたことを「エンゼルケア」という表現に変えたこと自体にはそれなりの意味があるんだろうと思います。

ただ、そもそも「死後の処置」の目的は、亡くなった方が生前自ら行っていた身繕い(みづくろい)を、本人に代わって行うことにより生前の姿に近づけることにあります。

そのために、全身を清拭して清潔にし、死亡したことによって起こるさまざまな変化が外観を損なわないように、胃や腸などの内容物を出したり、鼻、口、耳、肛門、膣に綿を詰めて鼻汁や唾液などが漏れ出てくるのを防いだりすることになります。

この死後の処置は、残された家族の希望があれば一緒に行うこともあります。その際には、故人との思い出話を聞かせてもらったり、入院中の様子を伝えるなどすることにより、それぞれのグリーフケアにつなげていく効果もあるように聞いています。

なお、遺族ケアについては、こちらで詳しく書いています。是非読んでみてください。

日本で初めての『遺族ケアガイドライン』が刊行されている。専門医を主な読者に想定した内容だが、「遺族に対して慎みたい言葉」など、患者遺族のグリーフケアを担う一般看護職にも役立つことが盛り込まれている。是非読んでおきたい一冊として紹介する。

エンゼルケアと表現は変わったものの……

ただ、「死後の処置」には、文字どおり「処置」のイメージが強く、手引きやマニュアルにある手順に沿って淡々とやっていると、残念ながら肝心のグリーフケアの部分が二の次にならざるをえない現状が少なからずあるようです。

そこで、亡くなった方や遺された家族に対するねぎらい、いたわりの気持ちといったケアの要素を死後の処置に取り戻していこうと、「エンゼルケア」という表現が好んで使われるようになったのではないかと思われます。

だとすると、エンゼルケアについても、マニュアルめいたものを作って方法論を覚えることだけにあまり力を入れすぎていると、「やっていることは死後の処置と大差ないじゃない」ということにもなりかねないのではないでしょうか。

できるだけ葬儀社任せにしないで
エンゼルケアは看護師の手で

一方で、最近は街の葬儀会社の多くが、エンゼルケアと称して、「亡くなった方の清拭や着替え、そして死に化粧もお引き受けします」などとアピールするようになっています。もちろん業者ですから当然、相応のコストはかかります。

最近では終活ブームのなか、家族によっては、担当医から患者の死期が近いことを告げられると、早々と葬儀の準備を始めます。あるいは人によっては、自分の葬儀の手はずを生前に整えたりもしています。

このようなケースでは、葬儀の一環として、「エンゼルケアは葬儀社にお願いしてありますから」などと伝えられるケースもあるでしょう。

宗教や地域性、家風に配慮しつつ

また、亡くなった直後からの弔いの儀式には、宗教や地域性が大きく反映されます。あるいは、その家の家風なり慣習などによっても違ってきますから、基本的には生前の患者の意向や家族の希望を尊重することが求められるでしょう。

そのうえでの話になりますが、家族から申し出があればもちろんですが、そうでなくても「これから〇〇さんの身体をきれいにして差し上げようと思いますが、一緒にいかがですか」とか、「お気に入りの服をお持ちでしたら、着せ替えをご一緒しませんか」などとエンゼルケアへの参加を促してみてはどうでしょう。

このようなかたちで一緒にエンゼルケアを行うなかで、看護師さんが家族に語りかける何気ない言葉の一つひとつが、最愛の人を失って「悲嘆にくれている者にとっては大きな救いになった」といった体験談を、これまで幾度となく耳にしてきました。

まさにこうしたことが、その方を担当されてきた看護師さんにとっても、グリーフケアの一歩になるのではないでしょうか。

それだけにエンゼルケアは、亡くなった方の最期の時間を一緒に過ごした看護師さんに、是非お願いしたいと思うのですが、いかがでしょう。

患者を看取った後のデスカンファレンスは、看取りにかかわった人たちのグリーフケア(悲嘆ケア)のひとつとして重要な意味を持つ。そこでは看取った後の自分たちのこころの動き、対象喪失感情を吐露し合いグリーフワークを行うのが理想なのだが……。