意思決定支援における「家族」の定義は?

家族

「家族の意向」が
尊重される場面が増えている

近ごろ盛んにニュースで取り上げられる「オレオレ詐欺」――。メディアで報じられている範囲での情報ですが、ことのいきさつを見聞きしていると、家族関係の希薄化が深刻度を増しているとつくづく痛感させられます。

思い余ったかのような息子からの突然の電話に、親としてすっかり動転してしまっていて声の判別もつかず、話の内容に疑問を感じることもできないという事情もあってのことだろうとは想像できます。

でも、日ごろから家族としてもっと頻繁に意思の疎通をはかり、わかり合おうと努めていたら……、と残念に思う一方で、ふとある疑問が湧いてきます。

医療現場では、さまざまな意思決定場面において、まずは患者の意思を第一に尊重します。しかし、終末期ケアや高齢者ケアの場面を中心に最近目立って増えているのは、患者の意思決定能力が低下、あるいはなくなってしまっているようなケースです。

このようなとき、患者の意思の次に医療者サイドが求めるのは「家族の意向」です。

事前の備えがなく家族に意思決定を託すしかない

治療やケアの選択といった、その人のこの先の生き方、さらには人生の締めくくり方までを大きく左右するような重大な決定を、家族に託すことになるわけです。

そのようなとき、その家族を、少々極端な例とはいえ、オレオレ詐欺で偽って家族を名乗るような人とどう見分けることができるでしょうか。

もちろん本人による事前指示書があったり、アドバンス・ケア・プランニング(ACP、人生会議)が行われていて、本人の意思を確認できているなら、そんな心配は無用でしょう。

ただ、そうした備えが何もなく、家族の意思決定に託すしかない場合、どのような人を家族としてとらえたらいいのでしょうか。今回はそのあたりのことを考えてみたいと思います。

意思決定プロセスガイドラインは
「家族」をどう定義しているか

医療・ケアにおける意思決定支援に関するガイドラインは、国レベルで、あるいは学会などにより策定されたものがいくつか公表されています。その多くが、終末期の医療・ケアに関する意思決定のガイドラインです。

そんななか終末期に限定していないものに、日本老年医学会が2012年6月に策定し、公表している「高齢者ケアの意思決定プロセスに関するガイドライン――人工的水分・栄養補給の導入を中心として」があります。

このガイドラインには、医療・介護においてどのようなケアを選択するかの意思決定をする際にたどるべきプロセスについて、一般的な指針が示されています。

そこでは、治療やケア方針の選択・決定を支援する医療・ケアスタッフの基本姿勢として、患者本人およびその家族や代理人との双方向のコミュニケーションを通して、そのコミュニケーションに参加する人が、お互いに納得できる合意形成を目指すべきだとしています。

戸籍上のつながりや血縁関係の有無だけで判断しない

そのうえで、ここで言う「家族」については、以下のように説明されています。

「家族」とは、本人の人生と深く関わり、生活を共にするなど、支え合いつつ生きている人々を指すのであって、単に戸籍上のつながり、ないし血縁関係があるという形式上のことだけで決まるものではない。
とはいえ、ここでいう家族以外の親族であっても、いずれ本人に代って法的権利を行使する可能性がある立場であることもあり、また、現在は疎遠であっても、当人たちは深いつながりを感じているということもあるため、本人および家族との実際上の関係の深さ、および当人たちが意思決定プロセスにどれほど積極的に関わろうとしているかの程度に応じて、「家族」に準じて遇することが現実的である。
(引用元:「高齢者ケアの意思決定プロセスに関するガイドライン*¹」P.13)

要約すれば、「家族」として捉えるかどうかは、戸籍上のつながりなど、単に法的な親族だけを家族とするのではないとしています。

家族かどうかの判断基準は、患者がその人に深いつながりを感じていると同時に、その人も患者の意思決定に真剣かつ積極的にかかわろうとしているかどうかにおくべきだ、ということになるでしょうか。

患者の益を優先しない
家族の判断もあり得る

このガイドラインには、高齢者が経口摂取できなくなった場合の、胃瘻や経鼻経管、食道経管による経腸栄養法や中心静脈などによる非経腸栄養法、通称「AHN」の導入に関する意思決定へのかかわり方に関して、数多くの具体的なアドバイスが記述されています。

そのなかで家族の意向に関連して言及している以下の部分は、すでに医療者間で、また一般でも漠然としたかたちではあるもののしばしば指摘され、注意喚起されていることです。

とはいえ、意思決定支援として家族の意向を扱う際に、念頭に置くべきこととして特に重要ではないかと考え、改めて以下に紹介させていただきます。

AHN導入の是非は、家族の本人に対する思いに相関的なところが確かにある。だが、家族は必ずしも本人の人生にとって益となるかという観点で判断しているとは限らない。
介護に疲れ、早く終わらせたいと考える場合もあり、逆に、本人が生きていることによる経済的利得(年金など)のために、できるだけ死を先延ばしにしたいと考えることもある。
確かに、本人にとっての益だけを考えるのではなく、家族の益や負担も考えるべきではあるが(介護負担が家族を疲弊させている場合は、社会資源の活用などその負担を軽減する方途を考える)、家族の都合によって本人の生を延ばすかどうかを決めるのは不適切であり、家族の都合でAHN導入如何が左右されないように、配慮する。
(引用元:「高齢者ケアの意思決定プロセスに関するガイドライン*¹」P.21)

家族の意思の妥当性が問われる場面も

なお、上記の指摘は、AHNの導入に限ったことではありません。透析療法の導入や継続の見合わせ、人工呼吸器による生命維持装置の導入場面においても、また高齢者だけでなくあらゆる年代の患者の治療やケアの意思決定支援場面でも、家族の意思の妥当性を考える際に共通して起こりうる課題であり、大変参考になると思うのですが、いかがでしょう。

意思決定支援における「家族の意向」については、結婚を予定していた大事な人との死別の場面で「法律上の家族ではない」ことを理由につらい思いをさせられたというある看護師の体験をもとに、家族のとらえ方、家族の意向の読みとり方の難しさをこちらで書いています。是非、併せて読んでみてください。

治療法の選択やエンドオブライフケアにおいて、看護師に意思決定支援が求められる場面は増えています。そのとき、その人の何に価値を置いて支援するか、とりわけ家族が多様化している現代は、看護師に難しい選択が求められるのではないでしょうか。

引用・参考資料*¹:日本老年医学会「高齢者ケアの意思決定プロセスに関するガイドライン――人工的水分・栄養補給の導入を中心として」