がんサバイバーの情報リテラシーを高める看護




情報リテラシー

統計上ながら、日本人の2人に1人が生涯に一度はがんを経験する時代にあって、今やがんは、「イコール不治の病」のイメージとは大きくかけ離れているといっていいでしょう。
とはいうものの、医師から「がんです」と告げられたら、おそらくは誰もが大きく動揺するのではないでしょうか。

その動揺からなんとか気持ちを立て直し、がんの治療中、また治療を終えた後も、自らのがんと上手に共存しながら、その人らしさを失わずに日々の生活を続けている「がんサバイバー」と呼ばれる人びとが、このところ目立って増えてきているように思います。

そんな人びとにとって、がんとともに生きるうえで大きな力となっているのが、がんサバイバー自身の「情報リテラシー」であるといわれています。
今回は、ある出来事をきっかけに改めて考えさせられた、この「がんサバイバーの情報リテラシー」について少し書いてみたいと思います。

がんサバイバーの不安な気持ちを
看護師にわかってもらいたい

先日の深夜、寝入りばなを長年の友人からの電話で起こされました。
いつもは冷静な口調で物事をきちんと順序立てて話してくれる彼女なのですが、そのときはかなりヒステリックなトーンで、「肺がんの治療を受けるにはどこの病院がいいのかしら」と、いきなり聞いてきたのです。

電話の向こうの彼女に、まずは大きく深呼吸して気持ちを落ち着かせるように促しました。そのうえで、何があったのかと聞き直すと、大筋こんな事情を話してくれました。

彼女の50代の夫が、会社の健康診断で肺の異常所見を指摘され、先日、会社近くの総合病院で何種類かの精密検査を受けた。今日の午後、二人で連れ立って検査結果を聞きに行ってきた。
担当の医師から告げられたのは「肺がんのステージⅡですね。幸いがんは肺のなかに限局していますから、早めに手術で取り除きましょう」というものだった、と――。

現在夫は禁煙しているが20年近い喫煙歴があり、しかもかなりのヘビースモーカーだった。そのためかねてから、「がんになるんだったら、たぶん肺がんよね」などと、冗談のように話し合っていた。そんな予測はあったものの、「実際に肺がんと知らされ、夫も私もショックで、ちょっとパニックに陥ってしまった」

気持ちの整理がつかないでいるところに、担当医から「手術は早い方がいい。ご予定は……」とか、「安心のために、手術の後に抗がん剤でがんをたたきましょう」……等々、まるで宣告するように矢継ぎ早にいわれた。

やっとの思いで「少し考えさせてください」とだけ伝え、二人で診察室を出たものの、なんとも気持ちが泡立って納まらない。
「だって医師はともかく、せめてその場にいた看護師さんには、何が起きているのかわからず言葉に詰まっている私たちの気持ちを汲み取ってほしかった。何がしかの言葉かけなりしてほしいと思うのに、医師と同じように治療に関することしか話してくれなかった……」

急ぎ自宅に戻ってから二人で時間をかけて話し合い、病院を変えてセカンドオピニオンを受けてみようということになった。そこで私に電話をしてきた、というわけです。

がんサバイバーの
情報リテラシーへのかかわりを

友人夫妻の例を見るまでもなく、がんサバイバーたちは、がんの診断を受けることから始まる長い闘病プロセスのなかのあらゆる段階で、さまざまな課題に直面します。
まず壁にぶつかるのは、主治医からいくつかの治療法を提示され、そのなかから自分に最も適していると思われる治療法を選択するように求められる場面でしょうか。

家族、とりわけまだ幼い子どもがいるようなら、彼らに自分のがんのこと、これから受ける治療のために入院するから家を留守にすることなどを、どう伝えてわかってもらうか、というつらい課題に直面することもあるでしょう。

治療を開始してからも、副作用の対処法、仕事あるいは学校のこと、退院した後の日々の生活のこと……等々、がんサバイバーは実にさまざまな課題に直面します。そして、その都度意思決定が求められることになるのですが、これがなかなかやっかいなのです。

がんサバイバーが、次々と直面する課題を自分なりに納得できるかたちでクリアして次の一歩を踏み出すには、医療スタッフによる支援が欠かせないでしょう。とりわけ、患者サイドに最も近いところにいる看護師さんに求められる役割は大きいものと思われます。

この場合の支援について、がん看護専門看護師の近藤まゆみさんは、近著『臨床・がんサバイバーシップ―“生きぬく力”を高めるかかわり 』(仲村書林)のなかで、がんサバイバーの情報リテラシーへのかかわりの大切さを説いておられます(P.154~)。

がんサバイバーの情報リテラシーは
意思決定の質を左右する

情報リテラシーとは、何らかの意思決定が必要な場面において、自分がその意思決定をより適正に行うために、その判断根拠としてどのような情報が必要なのかを見極め、その情報を効率的に集め、その集めた情報を正しく理解して意思決定に活用していく能力のことだと、私なりに理解しています。

この能力には、もともと個人差があります。しかも、がんであるとの診断を告げられて少なからず気持ちが揺れている状態では、その人が本来持ち合わせている情報リテラシーを存分に発揮するのは、なかなか難しいと考えていいでしょう。
そこで、看護師さんによる支援が求められることになるのです。

この場合の支援については、「ああ、情報提供ね」と、とかく軽く受け止められがちです。友人夫妻のケースであれば、肺がんやその治療法などについて簡単に説明してある既定のパンフレットなどを手渡し、「これをよく読んでおいてください」となるのかもしれません。
しかし、実際に求められている支援は、そう簡単なことではないようです。

近藤氏はその支援について、まずは本人とのやり取りを通して、「この方は自らの病気をどのように理解しているのか」「自分の病に関する情報をどこから手に入れているのか」「理解力に支障はないのか」といったことを把握することから始める必要があるとしています。
その理解のもとに、「この方はさらに何を知る必要があるのか」「この方の情報リテラシーはどの程度なのか」を見極めつつ、その人に提供すべき情報を、その人の理解力に応じた方法で伝えていくことになるというのです。

がんサバイバーの「知りたい」に
応えるかかわりを

現代社会にあって多くの日本人は、情報の洪水の中に自分がいると感じているのではないでしょうか。友人夫妻も、診察室を出る時点では、「自宅に戻ってインターネットで検索すれば、肺がんに関する情報はあふれるほどあるだろうから、それらの情報をもとにこれからのことを考えよう」と話し合っていたそうです。

家に戻り、自分たちなりに情報を集めてはみたものの、「情報が多すぎることと、なかには担当医がすすめてくれた手術を否定するような情報もあり、かえって混乱してしまった。そこで、自分たちよりは医療に明るいあなたに相談しよういうことになった」というのです。

そこで私は、セカンドオピニオン云々を決める前に、今一度先の病院を受診して、できれば肺がんの診断を受けた時に同席していた看護師さんに話を聞いてもらってはどうかと提案しました。その時の看護師さんが不在であれば、別の看護師さんでもいいから「ちょっと相談したいことがあるのですが」と声をかけてみては、と。

そのうえで、相談に応じてくれた看護師さんに、医師から説明を受けた病状や治療法を自分たちがどのように理解しているのかを伝えてみること、そのうえでよく理解できないことや疑問に感じていることを話し、わかるように説明してもらってはどうかと話してみました。
これに電話の向こうの友人は、「相談に乗ってくれるかしら」と不安げでした。
そこで、外来の看護師さんに時間をもらえそうになかったら、がん相談支援センターのような窓口があるはずだから、そちらにいけば大丈夫と話し、その日は電話を切りました。

数日後、前回よりは少し落ち着いた声の彼女から、報告の電話が入りました。
外来の看護師さんが快く相談に応じてくれ、自分たちにどんな情報が欠けていたのか、何に不安を感じていたのかがわかったこと、その不安を解くために必要な情報提供も受けることができ、「このままこの病院で治療を受けよう」と意思を固めた、とのことでした。

がんサバイバーとしてよりよく生きていくうえで情報リテラシーがいかに大切なことか、またその人が自らの情報リテラシーを最大限発揮できるようにかかわるためには、その人が「知りたい」ということにきちんと答えていくことの重要性に気づかされた一件でした。