死を前にした人に看護師ができること




平穏

「死にたい」と言われたら
看護師としてどう返したら……

この春、3年間勤務してきた急性期病棟から緩和ケア病棟に移ったという看護師さんと、先日久しぶりに話す機会がありました。
病棟を変わったのは、彼女の希望によるものだったそうです。

なぜその希望を出したのかについては、彼女は多くを語りたがりませんでした。
ただ、何気なく口にした「ケアと言える看護をしたかった……」という意味深な一言に、なんとなくわかったような気がして、それ以上は深く尋ねませんでした。

異動してすぐの頃は、緩和ケア病棟の患者はおおむね、自分の死が近いことを強く意識しているように見えたそうです。
その印象から、「早く死にたい」などと、答えに窮するようなことを言われたらどう返したらいいのだろうかと、しばらくは緊張の日々だったと言います。

この2か月余り、病棟の医師や先輩の看護師さんたちの患者との向き合い方を見ているうちに、「ここでは自分が看護師であることをあまり強く意識しすぎないほうがいいようだ」と、なんとなく思うようになったそうです。
そんなふうに気づけたことで、気持ちが少し楽になったと言います。

看護師という立場を
あまり意識しないで「傾聴」する

彼女の話を聞いていて、なぜ「自分の看護師という立場をあまり強く意識しすぎないほうがいい」と思うようになったのかが、とても気になりました。

かねてから彼女は、「傾聴する」とか「患者を理解する」いうことを看護の大事な部分として、ことさら強く意識していました。
実は、彼女との出会いは、この「傾聴」をめぐるやりとりがきっかけだったのです。

先に私は、精神看護専門看護師の平井元子さんが、著書『リエゾン―身体(からだ)とこころをつなぐかかわり 』(仲村書林)のなかで、看護師の傾聴は、「ただ聴くだけ」ではなく「患者が言いたがっていることを理解する」プロセスが大切であると書いておられる話を紹介しています。
それは、カウンセリングで言うところの傾聴とは少々趣が異なるもので、患者とのやりとりを通して合意に至ることが大切である、といった趣旨の話です。
看護としての「傾聴」は聞くだけで終わらせない

長年の知人である看護師さんの紹介で、この記事を読んでくれたという彼女と会う機会がありました。初対面の時の彼女は、急性期病棟が職場だったこともあり、「傾聴」するなかで「患者理解を深めていく」というようなことはそう簡単にできることではないし、そんなことをしている時間的余裕もないと、話していたものです。

ところが、緩和ケア病棟に職場が移ってから、この考えが少しずつ変化して、自分も平井さんの言っていることができそうだと思うようになったそうです。
緩和ケア病棟の先輩たちの患者とのやり取りを見ていて、今までそれができなかったのは、自分が看護師であることを意識しすぎていたからだと、わかってきたと言うのです。

「患者さんやご家族に向き合うと、今日は気分はどうなのかとか、痛みはどうなのかといった、看護師として知りたいこと、つまり、アセスメントや次の看護にすぐにつながるようなことを優先して聞き出そうとしがちで、相手が話したがっていることや言外に伝えようとしているようなことにあまり関心が向いていなかったことに気づいた」のだと……。

死を前にした人の
顔の表情を大切にする

彼女のこの話を黙って聞きながら、私は、少し前に読んだ一冊の本に書かれていたあるフレーズを思い出していました。

ホスピスに勤務された後、在宅クリニックを開院されて、都合23年という長きにわたり緩和ケアに取り組んでおられる小澤竹俊(たけとし)医師の著書、『死を前にした人に あなたは何ができますか?』(医学書院)の「はじめに」のなかにある次のような部分です。
ちょっと長くなりますが抜粋してみます。

死を前にした人に、私たちができることがあります!
それは、その人の顔の表情を大切にすることです。たとえ人は死を前にしても、穏やかな表情で過ごせる可能性があります。
穏やかだと思える理由は人によって異なるでしょう。こちらの世界観で一方的に決めつけずに、1人の人間として、その人の生き方を尊重しながら、穏やかになれる条件を探してみましょう。
痛みが少ないこと、希望の場所で過ごせること、なるべく家族に迷惑をかけないこと、お風呂に入れること、故郷の話をすること……これらの条件を援助できるのは、一部の医療職だけではありません。関わるすべての人ができることです。

引用元:小澤竹俊著『死を前にした人にあなたは何ができますか』

短い一文ですが、実はここに、エンドオブライフ・ケアのエスプリ、つまり終末期医療の神髄ともいうべきことのすべてが凝縮されているように、私は感じています。

実際、在宅で人生の終わりを迎えようとしているご主人を介護して、そろそろ3年になるという友人から、こんな話を聞くことができました。

「どんな言葉をかけたらいいものかと途方に暮れている時に、あなたが紹介してくれたあの本の、あの部分を読んでいてひらめいたんです。そういえば、二人で初めてドライブをした日の話をずっとしてなかったなって。日光のいろは坂の紅葉がきれいだからと出掛けたのですが、その日は霧がすごくて、危ない思いをしたこととか、由緒ある金谷(かなや)ホテルで昼食を摂ったのですが、まだ若かった私たちは財布が寂しくていちばん安いカレーで我慢したこととか」

二人で思い出話をしているうちに、ご主人の表情がとても柔和になり、「あそこのレトルトカレーがあれば食べてみたいね」と言い出したのだと……。

「そうなんです」という言葉が
患者から聞けるかどうか

この本の著者である小澤医師は、2015(平成27)年4月に有志のお仲間と「エンドオブライフ・ケア協会」を設立し、その活動の柱として、病院や在宅で終末期医療に携わっている方々を対象に、エンドオブライフ・ケア援助者の養成基礎講座を開催されています。

受講者はすでに2,000人に届くほどだと聞きますから、この講座を受けられた看護職の方も数多くいらっしゃることと思います。講演会なども積極的に開催されていますから、小澤医師のケア論に触れられた方も少なくないでしょう。
本書には、この講座や講演会などで小澤医師が語られてきたすべてのエッセンスが盛り込まれています。

たとえば、解決できない大きな苦しみを抱えた人の支えになろうと「援助的コミュニケーション」を実践していると、自分が良い聴き手になれているかどうか思い悩むことがあるでしょう。そんな時、相手から「そうなんです」という言葉が出てくるようなら、あなたは良い聴き手になれていると理解していいようです。

「沈黙」が続く場面も珍しくないでしょう。この沈黙も、患者がなかなか口に出せないでいることを吐き出してもらうためには必要なものですが、あまりに長い沈黙が続くようなら、「今は、どんなことを考えていましたか」と尋ねると、「実は……」となることがよくあるそうです。

このような「なるほど」と合点のいくヒントがたくさん詰まっている一冊でもあります。講座を受けられた方も、改めて読んでみられるといいでしょうし、先に紹介したように、在宅でご家族を看とろうとしておられる方に勧めてみるのもいいのではないでしょうか。