「透析中止」問題で示された改善策が
ACPの普及にブレーキ?
人生の終わりを見据えて医師と患者・家族が話し合うアドバンス・ケア・プランニング(以下、ACP)の取り組みが、このところ牛歩の如き歩みながら確かな進展をみせています。
厚生労働省も、ACPに「人生会議」という愛称までつけて、この取り組みが広く一般に浸透するようにと、普及に格別の力を入れているのですが……。
2018年8月に東京都の公立病院で起きた、いわゆる「透析中止」問題を受け、東京都が立ち入り検査を行った結果が、2019年4月9日に公表されました。
東京都は検査結果を踏まえ、同病院側に改善指導を行っているのですが、その指導内容を見て、「ああ、これではACPにブレーキをかけることになってしまうのではないか」と少々心配になりました。
実際にACPに取り組んでいる、あるいはまだその前段階ではあるものの、事前指示書(エンディングノート)に患者自らその意思を書き留めておくという取り組みを始めている看護職のみなさんは、今回の東京都による改善指導の内容を見聞きして、どのような感想をおもちになったでしょうか。
患者の意思を尊重することと
医師としての倫理観
今回取り上げる「透析中止」問題とは、当時44歳の、腎臓病(正式な疾患名は不明)で人工透析を続けてきた女性患者が、ずっと使用してきたシャント(動脈と静脈をつなぎ合わせる血液回路)に不具合が生じたことがきっかけで始まったようです。
新たなシャントの造設を検討する段階で、この造設を担当することになった外科医から患者には、透析治療の継続と治療中止の2つの選択肢を提示されました。
この提案にこの女性患者は、「透析中止」を選択。この中止から1週間後に当の患者が死亡したことは問題だとして、新聞やテレビが大々的に取り上げたものでした。このときメディアの多くが問題視したのは、次の2点でした。
- 確実に死に至る「透析中止」の選択肢を提示した
- 「中止」の選択をした患者の意思をそのまま尊重した
つまり、担当外科医が患者の「中止」の選択をそのまま尊重し、中止した行為自体、「医師として非倫理的」で問題ではないかと、多くのメディアが指摘したのです。
これを受けて東京都は同病院の立ち入り検査をすすめました。
すると、この女性患者以外にも透析治療を中止ないし導入を見合わせて死亡した患者が24人いたこと、このうち一部の患者については意思確認に関する記録が残されていないなどの不備が延べ10件あったことが判明。
この事実を突き止めたメディア報道の過熱ぶりもあって、担当外科医や同病院側を非難する声がいやが上にもヒートアップしてしまったという経緯がありました。
患者の意思確認プロセスの
記録の不備を指摘する
そこで同病院に対し、東京都が医療法に基づき立ち入り検査を行ったわけです。
その結果として、カルテなどの診療記録や病院側からの聞き取り調査結果に基づき改善の要ありとして指導に盛り込まれているのは、おおむね次の2点に要約できるようです。
- 患者に治療法の選択を求める際には、透析の代わりになる治療法(代替治療)があることや、いったん自己決定をしてその意思を医療者サイドに伝えていても、自分の気持ちや考えが変わったら、透析中止や非導入を撤回できることを事前に十分説明しておくこと
- その説明を行ったことと、患者の意思確認を行ったことのプロセスを、正確な記録として残すこと
都が行った今回の検査は、医療法にある「文書の記載漏れ」の観点だけに絞られたものだったようです。
つまり、ACPでも重視されている話し合いの前提として、担当外科医や同病院側が患者に十分と言えるだけの説明を行ったかどうかについては、都による「立ち入り検査の対象外」だったということです。
問題の発端となった女性患者のケースで言えば、シャント造設のために担当となった外科医は、新聞各社の取材に応え、透析続行の準備を進めていたのだが患者に拒まれて透析続行が不可能になったと説明しています。
同時に、当初「透析中止の選択肢を示した」と批判的な報道をされた件についても、「自分は中止の選択肢を示したことはない」と強く否定しているとも伝えられています。
東京都が実施した今回の立ち入り検査に限界があるのは明らかなようです。
ACPにおいて
話し合いを重ねることは重要だが
そもそも、わが国においてACPの重要性が叫ばれるようになった最大の要因は、厚生労働省が「人生の最終段階における医療の決定プロセスに関するガイドライン」のなかで、終末期医療に関しては患者本人の意思決定が基本であると明記している点にあると言っていいでしょう。
ただ、「人生100年時代」といわれるほど多くの人が長生きできるようになったことに伴い、認知症の発症や病状の悪化などにより、終末期の治療やケアについて自分で意思決定できないケースが少なからず出てくるようになっています。
こうした自己決定能力がなくなった場合にも、自分の意思に沿った医療が受けられるようにと、事前指示書を用意しておく取り組みが進められてきたわけですが、その書類を残しておくだけでは十分ではないことがわかってきました。
いざとなったときに、事前指示書にある本人の意思ではなく「家族の意向」で方針が変わってしまうということが、しばしば見受けられるようになってきたからです。
そこで、本人の意思を担当医ら医療スタッフや家族にあらかじめきちんと伝え、話し合っておくことが最重要であるとして、ACPが行われるようになったわけです。
揺れ動く患者の意思に合わせその都度話し合い記録する
この話し合いにおいては、患者の希望していることは患者の今の病状から考えて実行可能かどうか、あるいは医療的にみてより的確な方法があるのではないかといったことも話題になります。
その際、医療者サイドが、患者に治療やケアを受けてもらうことを前提にその話し合いに臨むとしたら、そのような場で患者の本当の意思が尊重されることになるのかどうか、正直悩むことになります。
またこの話し合いは、一度やっておけばいいというものではありません。
人の気持ちは変わるものです。特に人生の幕引きを意識した状態にある患者の気持ちは大きく揺れ動いているでしょうから、その時々の状況に応じて話し合いを何度も重ねることがACPでは強く求められます。
ただでさえ多忙な医師や看護師ら医療スタッフが、その患者の気持ちの揺れ動きにどこまでつきあって話し合い、その都度その内容をきちんと記録に残していけるものなのかどうか、その時間をどこでどう捻出していったらいいのか――。
今回の東京都の改善指導により、ACPのきわめて現実的な課題が浮き彫りになってきたように感じているのは私だけでしょうか。
透析の終了は妥当だったと判断
なお、今回の問題を受けて日本透析医学会は、調査委員会を新たに設置して調査を進め、その結果を受けて学会としての声明を5月31日に、ステートメントを発表しています。
結論を言えば、透析の終了は妥当だったと判断されたのですが、その理由等、ステートメントの全文は、同医学会ホームページに「日本透析医学会ステートメント」として掲載されていますので、関心のある方は是非読んでみてください。