気管挿管・気管切開患者とのコミュニケーション




伝わる

気管挿管中最大の苦痛は
意思を言葉で伝えられないこと

仕事上の付き合いが長い男性(50代)が、心筋梗塞の発作を起こして救急搬送されました。

彼の部下から知らせを受けてからおよそ2週間後、
「幸い軽くすんだようで、昨日一般病棟に移りました」
との報告を受け、早速お見舞いに行ってきました。

「救急車で運ばれたのも、CCUという器械だらけで殺風景な病室に入ったのも、人工呼吸器を着けたのも初めての経験でしたよ」

苦笑しつつそう話す彼は、心筋梗塞で手術を受けた人とは思えない元気ぶり。
その様子にホッとして、かねてから気になっていたことを聞いてみました。

「いろいろと大変だったでしょうけど、まずは落ち着いてよかった。ところで、意識があって人工呼吸器を着けているときって、どんな感じなのかしら」

これに返ってきたのは、「やっぱりね」と思わせるこんな言葉でした。

「喉のあたりの不快感や吐き気が繰り返されるのはかなりつらかったけど、僕にとって最大の苦痛は声を出せないことだった。自分の意思を言葉にして伝えることができないということがこんなにも不安で苛立たしいものなのかと、つくづく実感させられましたよ……」

気管挿管により思いどおりに
コミュニケーションできないストレス

彼のこの話を聞いて「やっぱりね」と思ったのには、実は理由があります。
ICUに勤務する看護師のTさんから、こんな話を聞いたばかりだったからです。

意識があって人工呼吸器を装着している患者が、思いどおりにコミュニケーションがとれないことによるストレスから、精神的に不安定になることが多くて困っている――、と。

もちろん看護師さんサイドとしては、筆談や文字盤、あるいはジェスチャーをフルに活用して、色々と工夫はしています。

スマートフォンやパソコンを日常的に使い慣れている患者であれば、大き目のタブレットを使い、ディスプレイに伝えたいことを打ち込んでもらう方法をとることもあるそうです。
適応であれば、スピーチカニューレを活用する手もあります。

しかし、「今、自分に何が起きているのかわからない」ことほど人を焦らせ、不安にさせるものはありません。

病状はもちろん治療やケアについてもきちんと説明を受けて理解し、納得したうえで受けたいと考えている患者ほど、意思を伝える手段を失ったことが我慢できずに苛立つことは多く、そのことが患者の回復を遅らせているケースが多いように思うと、Tさんが話していたのです。

意思を伝えることを
諦めてしまっている患者も

調べてみると、意識がある患者が体験している気管挿管によるコミュニケーション上の不都合や困難さについて報告している看護研究論文も少なからずあります。

その一つ、兵庫県立大学看護学部の山口亜希子講師ら研究チームは、ICUで気管挿管のもとに人工呼吸器を装着した患者3名とその患者のケアを担当した看護師8名を対象に、コミュニケーションの困難さとその問題への対処法について研究結果をまとめています*¹。

それによると、患者は「痛みや苦しみをありのままに伝えられない」「メッセージを理解されるまでに時間がかかり苛立つ」「メッセージを理解されたかわからず安心できない」「ほったらかしにされ不安になる」といった問題に直面していることがわかります。

このような問題を何とかクリアしようと、看護師さんサイドは筆談や文字盤などの代替手段を提案します。しかしこのような対応には、「身体機能が低下していて代替手段を使いにくい」と感じている患者が多いことも明らかにされています。

患者サイドは、自分の意思を何とかわかってもらおうと、「看護師がメッセージを理解しやすい方法を(自ら)考え伝える」「もっているエネルギーで精一杯伝える」努力をしているようです。

しかしそれでもうまく伝わらない場合もあるようで、結局は「メッセージの送信を諦める」ということになってしまうのはなんとも残念です。

選択した文字孔を指して
意思を伝えるフィンガーボード

そこでここでは、すでに看護の現場で活用しておられる看護師さんもいらっしゃるとは思いますが、患者が自らの意思を言葉にして伝えるツールとして、対面式会話補助具「フィンガーボード」 ひらがな版を紹介したいと思います。

実は1か月ほど前、80歳を超える母親を自宅で介護している友人から、こんな相談を受けました。

「母が食事中にのどを詰まらせて窒息状態に陥り、救急搬送先の病院で気管切開を受けてなんとか持ち直したものの、言葉を発して会話できないことが我慢できないようで、いつになくイライラし、何かと私にあたってくるのでつらい。何かいい方法はないかしら」

そこで、先のフィンガーボードを取り寄せ、お見舞いがてら持って行ったところ、それはもう大喜び。以来母親はすっかり機嫌がよくなり、後日彼女から「きつくあたられることがなくなった」とメールが届くほどのスグレモノなのです。

「フィンガーボード」という名のとおり、「話し手」側と「聞き手」側の、両面の同じ位置に同じひらがな文字が表示してあり、それぞれの文字の下に文字を確定する孔(あな)があるのが特徴です。

話し手(患者)は、文字を選んで一文字ずつその文字孔に指先を差し込んで短い言葉にすることで、自分の意思を聞き手である看護師さんに伝えることができます。

看護師さんは読みとった言葉を口に出して確認し、OKであれば患者はボードを軽くタッチして自分の意思が伝わったことを伝え、コミュニケーションを進めていきます。

対面式になっていますから、話し手である患者の姿勢に合わせて会話ができます。
ボードはB4サイズ(250×345×2㎜)で80gの軽さですから、聞き手の看護師さんも負担なく、患者の視線に合わせた姿勢で使うことができます。

使用頻度の高い言葉や
急ぐときはイラスト版の活用も

ボード上のひらがなを指差しするのが困難であったり、急を要するようなときは、対面式会話補助具「フィンガーボード」イラスト版を併用すれば、患者が伝えたいことを一度指差すだけで伝えることができます。

このイラスト版は、「食事」「飲み物」「薬」「トイレ」など日常的に使用頻度が高い言葉や「暑い」「寒い」「痛い」「苦しい」などの訴えなどをイラストにしてあるものです。

使い方はひらがな版と同じ。患者はイラストを選択してその下にある孔を一度指差すだけで、対面している看護師さんに伝えたいことが伝わります。

イラスト版には無地のスペースが用意してありますから、「水を飲みたい」のようなオリジナルの言葉やイラストをシールや水洗ペンなどで追記して使うこともできます。

このフィンガーボードは、ひらがな版とイラスト版を併用することで、患者の負担が軽くなり、コミュニケーションがいっそう円滑になるのではないでしょうか。

なお、永久気管孔造設患者のコミュニケーションについては、人工鼻の活用についてはこちらの記事を参照していただけたら幸いです。
→ 永久気管孔からの呼吸を楽にする「人工鼻」

参考資料*¹:ICUの人工呼吸器装着患者が体験したコミュニケーションの困難さと用いたコミュニケーションの方略