クリニカルパスと看護の個別性(バリアンス)




クリニカルパス

クリニカルパスと個別性は
両立していますか

わが国の病院にクリニカルパス(「クリティカルパス」とも呼ばれる)の導入が始まって、はや20年以上が経過します。

アメリカからの輸入品ということもあり、当初は何かしっくりこない印象が強く、あまり普及しないのではないかと思われていたものです。

ところが大方の予想に反して普及が急ピッチで進み、今ではかなりの数の病院で、急性期を中心に診療科別、臓器別と実に多種多様のクリニカルパスが医療者用・患者用パスとして開発、運用されているようです。

クリニカルパスとは、患者が入院中の検査や治療、ケアの予定をスケジュール表のようにまとめた入院診療計画表です。

当初、受け入れにあまり積極的ではなかった看護師さんがその理由としてよく挙げていたのは、クリニカルパスに書かれているケアを遂行するだけの看護に終わってしまうのではないか、との懸念でした。

そんなことになったら、かのナイチンゲールの時代から看護独自の機能として大切にしてきたものがすっぽり抜け落ちてしまう――。

多くの看護師さんは、そんな危惧を抱いていたようですが、導入から四半世紀を過ぎようとしている今、現実はどうなっているのでしょうか。

個別性、つまり患者個々の「その人らしさ」を最重視する看護とクリニカルパスはいいかたちで両立できているのかどうか――。
最近身近であった出来事を紹介しながら、私なりの考えを書いてみたいと思います。

手術後に起きた左腕の痛みを
ケアしてもらえない

昨年の春、私のパートナーの叔父(78歳)が都内有数の大学病院で、胃がんの手術を受けました。幸い発見が早くステージⅠであったことから、腹腔鏡下で幽門側胃切除術が行われることが、看護師さんから渡されたという叔父のクリニカルパスに明記されていました。

普段はあまり交流がないものの、私が持ち合わせている医療知識と情報が少しでも役立てばとの思いから、手術前と術後3日目、8日目の都合3回、パートナーとお見舞いに伺いました。

実はお見舞いの動機には、取材者としてだけではなく、患者サイドの目で入院生活や叔父に提供される看護を見てみたいという野次馬的なもくろみも少しありました。

手術が終わって3日目のことでした。叔母が心細そうな、やや混乱した声で、
「困ったことがあって……。夕方にでも来ていただけないかしら」
と電話をしてきたのです。

手術自体はうまくいき、何ら問題はないとの連絡を受けたばかりだっただけに、年齢からして急変でもしたのかと不安になり、急遽駆けつけました。

なんと、叔父の困ったこととは、術後に襲ってきた左上腕部の稼働時の痛み(おそらく筋肉痛)と、それによる運動制限という意外なものでした。

じっとしていても、たまに痛みが走ることもあり、「看護師さんになんとかしてくれと繰り返しお願いしているのに、なんの手当もしてくれないんだ」「術後訪問とかでやってこられた麻酔科の医師にも話してみたが、いっこうに対処してくれない」と、ややご立腹……。

もちろん担当医には真っ先に訴えたものの、「ああ、痛みますか。そちらの腕は手術中ずっと血圧測定のために固定していましたから、そのためでしょう。少し様子を見てください」と、そっけない返事で終わってしまったそうです。

クリニカルパスにないことは
訴えがあってもケアしない?

叔父によく聞けば、いわゆる50肩で左腕が上がらなくなったことが一時期あったが、最近はすっかり治っていたとのこと。

「どうせ訴えても聞き流されるだけだから」とすっかり諦め顔でしたが、つらそうにしている叔父の姿を目の当たりにした以上、そのままにもしておけません。

「とにかくセルフケアで痛みを和らげましょう」と、近隣の薬局に走り、消炎鎮痛剤入りのシップ薬を購入して患部に貼ってみました。

しばらく様子を見ていると、「少し動かしても痛くなくなってきた」とのこと。
それなりの効果を確認することができたため、「痛みが静まったら、じっとしていないで軽く動かして血行を促した方がいいと思う」とだけ伝えて、その日のお見舞いを終えました。

その後の叔母からの電話では、適宜貼り換えながら市販のシップ薬を貼り続けることで、痛みはずいぶん楽になったようでした。

パスにないこと、バリアンスに気づいてもらえなかった

そして、そろそろ退院だろうと、術後8日目に見舞った際には、例のシップ薬をまだ貼ってはいたものの、叔父はずいぶん安らいだ表情になっていました。

聞けば、叔父が左上腕に市販のシップ薬を貼っていることを伝えても、看護師さんは「あら、よかったですね」といった程度の反応しかなかったとのことです。

78歳という年齢もあって諦めの心境だったのでしょう。叔父は今回の件をこんなふうに受け止めることで自分なりにざわついた気持ちを納めたようです。

「入院直後に渡されたクリニカルパスとやらを見直してみたが、あの作業工程には、術後に起こった僕の腕の痛みのことはいっさい書いてないんだよね。だから、あそこに書いてないことは、看護師さんにも医師にもやってもらえないんだと思うことにした」と――。

クリニカルパス用語でいえば「バリアンス、つまり個別性への対応をしてもらえなかった」とでもいうことになるようですが、なんとも残念で、悲しい言葉ではないでしょうか。

クリニカルパスの発案者は
米国の現役看護師だった

クリニカルパスの歴史を紐解いてみると、もともとの発想は、アメリカボストンのメディカルセンターに働く看護師の「すべての患者により質の高いケアを提供できるようにしたい」という切なる思いだったと聞いています。
クリニカルパスが「思いやりツール」と呼ばれるゆえんはこのへんにありそうです。

ですからわが国にクリニカルパスが伝えられた当初、その導入に熱心だったのは、主に看護師さんだったと記憶しています。

その後、医師や病院経営者、さらには厚生労働省がその普及に力を入れ始めたことで、クリニカルパスは少しずつ変質してきたように感じています。

つまり、医療を標準化して「患者ケアの質的向上」と「医療の効率化」を図るという、ある意味相反する目標を掲げたことにより、患者個々に起こるその人独自の問題への介入が二の次にされがちになってしまったのではないか。

その結果として叔父が体験したような「パスに書いてなてことはやってもらえない」ケースが生まれているのだろうと考えるのですが、いかがでしょうか。

クリニカルパスは
個別性を際立たせるためのツール

看護が大切にしている「その人らしさを尊重する」という視点からいえば、「クリニカルパスにあるケアを遂行するだけでは、不十分だ」と話す看護師さんは少なくありません。

ただしこれには、「だから、個別性のある看護が特に求められる高齢者や慢性疾患の患者にはクリニカルパスの対象外にしている」との声が聞こえてきそうです。

しかし、年々高齢化が進むこの国にあって、急性期疾患で病院を訪れる高齢患者は数多くいます。そのなかには、叔父のように手術が必要となるケースも少なくないはずです。

そんななかにあって、ナイチンゲールがいうところの、患者個々の「自然治癒力を引き出す」という看護本来のかかわりとクリニカルパスを過不足なく両立させながら、いかにしてその人らしさを尊重した看護にもっていけばいいのでしょうか――。

バリアンスにいち早く気づくこと

クリニカルパスについては、「むしろ個別性を際立たせるためのツールである」と説明を受けたこともあります。バリアンスをいち早く発見して対応していくことが、個別性に対応した看護の提供につながっていくのだと――。

難題だろうとは思いますが、現場で日々患者のその人らしさを尊重しようとかかわっておられる看護師さんには、なんとしても挑戦していただきたい課題です。

看護現場や教育現場を取材していると「その人らしさ」が「よい看護」の代名詞のような印象を強く受けます。では、この「その人らしさ」をどうとらえ、日々の看護に如何に生かしているのか。とかくその人の言いなりになることと捉えがちなのですが……。