本ページはプロモーションが含まれています。
話し下手は
看護師に向いていない?
かなり前のことですが、月刊誌の連載取材のために通い続けていた病院で顔なじみになった新人の看護師さんから、こんな悩みを打ち明けられました。
「看護師になってそろそろ半年が過ぎようというのに、患者さんやご家族、それに職場の医師や同僚とも、会話が弾まなくて困っています」
さらにこう続きます。「きちんと対応しなくてはと思えば思うほど言葉に詰まってしまうので、相手に不快な思いをさせている……」
少し間をおいて、こうまで言うのです。「もともと話し下手の自分が看護師になったのは間違いだったのではないかと、ちょっと自己嫌悪に陥っているんです」
彼女の思いつめた表情に、通り一遍の受け答えでは失礼と判断し、彼女が勤務を終えるのを待って、「近くでお茶でもご一緒しながら詳しい話を……」ということになったのです。
患者との会話は
自分でリードすべきだろうか
彼女を待つ間の小一時間、約束の喫茶室でコーヒーを飲みながらネット検索をしてみました。すると、コミュニケーションをとるのが苦手だったり話し下手(口下手)であったりすることを気に病んでいる看護師さんが意外と多いことがわかり、驚きでした。
そんな彼女たちがネット上に書き込んでいることを読んでいくうちに、そこに一つの共通点があることに気づきました。それは、話し下手やコミュニケーションが不得手だと悩んでいる看護師さんは、概して「看護師らしくしなくては」という意識がとても強いということです。
その、まさに真面目すぎるともいえるプロ意識から、とりわけ患者や家族との会話は看護師である自分がリードしなくてはいけないと思い込んでいる節がうかがえるのです。
理解を深めたいとの気持ちが
話し下手にしている?
ほどなくして勤務を終えた彼女が急ぎ足でやってきました。「お待たせしました」と深々とおじぎをして席に着いた彼女に、待っている間にネット検索をして感じたことを伝え、こう聞いてみました。
「患者さんや家族とのコミュニケーションは、看護師である自分がイニシアチブをとらなくてはいけないと思っていないかしら」と――。
「そんなふうに意識しているつもりはないけど……」と言ってからちょっと考えて、彼女はこんなふうに返してきました。
「患者理解を深めようとか、患者さんが希望していることをできるだけ実現してあげたいとは、いつも考えています。だからどうしても私からの質問が多くなってしまう。それと、患者さんと雑談してはいけないとの思いがあるから、話に詰まることが多いように思います」
このときの彼女の「患者理解を深める」という言葉から、かつて取材で、精神看護専門看護師の平井元子さんが語っていたことを思い出しました。
これは、平井さんの著書*¹にも書かれていることですが、とかく経験の浅い看護師さんは、看護計画立案のための情報収集ということを意識しすぎるあまり、アセスメントに必要な情報を得るという視点だけで、あるいは問題を明らかにすることだけを目的に患者とコミュニケーションを図ろうとしがちなのだ、と――。
話し上手より聞き上手のほうが
看護師として対人力は高い
この指摘を思い出した私は、平井さんの受け売りをこう伝えてみました。
「そもそも患者さんがあなたに話をしてみようという気持ちになってくれないことには会話は弾まないし、知りたいことも話してもらえないでしょう。また、仮に話してくれたとしても表面的なことだけで終わってしまい、話が深まらないのではないかしら」
彼女は「なるほど」という表情をしながら聞いていました。その表情から、彼女には話せばわかってもらえそうだと直感した私は、思い切って、このように提案してみました。
「いっそのこと発想を変えて、話し下手をむしろ自分のメリットと考えて、聞き上手に徹してみたらどうかしら」と――。
さらに続けました。「私が患者だったら、話し上手といわれるような少々おしゃべりな看護師さんより、多少口下手でも聞き上手の看護師さんのほうを選びたいわ。口数が少ないぶん信頼感がわいて、悩みや心配事を聞いてもらおうという気持ちになれるから」――。
看護師さんのような人と人とのかかわりがベースになっている職業においては、人づきあいと言われるような対人関係の能力、いわゆる「対人力」をいかにして高めるかということが職業的な課題の一つとしてあげられます。
その観点からも、話し上手よりも傾聴する力のある聞き上手のほうが、人間関係がうまくいきやすい、つまり対人力が高いといえるのではないでしょうか。
話し下手を
表情などの非言語でカバー
私が話すのを、時々うなずきながら聞いていた彼女の表情が少しずつ和らいでくるのがわかりました。その穏やかな表情をみていて、「あら、彼女って、こんなにいい表情ができるんだ」と改めて気づかされました。
それと同時に、言語化することだけがコミュニケーション手段ではないことを実感させられ、こう伝えてみました。
「そういえば、私ばかりおしゃべりしていて、あなたはうなずくだけよね。でもあなたの目の動きや表情から、たくさんの情報をもらっているわよ。だから私は、抵抗なく話し続けていられるんだと思う。すでに立派な聞き上手だと思うわよ」
この言葉に彼女は「少し自信がわいてきました。何とかやっていけそうな気がしてきました」と、素晴らしい笑顔を見せてくれたのでした。
実は彼女は、半信半疑ながらすべてわかっていて、確認の意味もあって私に話してくれたようです。話し下手をカバーしたいとの思いから、聴く力をつけようと努めているし、かつて友人の同僚から「あなたはいつも顔がまじめすぎる」と指摘されたこともあり、MTG(エムティージー) フェイシャルフィットネス を使って表情筋のトレーニングも始めたところだと、恥ずかしそうに打ち明けてくれました。
聞き上手の看護師は
ただ「聴く」だけではない
あの日以来、彼女と直接会ってはいませんが、ときどきくれるメールからは、少なくとも「自分は看護師に向いていないのでは」などと悩む様子はなくなっています。聞き上手を生かして日々の看護に取り組んでおられるようです。
ところでこの「聞き上手」については、とかく「傾聴」ということが強調されがちですが、「ただひたすら聞く」だけでは、話す側、聞く側の双方が満足のいくコミュニケーションになりにくいものです。
相手である患者の話を聞き、自分がそれをどう理解したかを患者に確認するという作業が、看護においては特に欠かせないことを、こちらで書いています。あわせてご覧ください。
参考資料*¹:平井元子著『リエゾン―身体(からだ)とこころをつなぐかかわり (SERIES.看護のエスプリ)』(仲村書林)