穏やかな最期のために活動する看護師僧侶




日本茶

自然な最期の迎え方を説く
看護師僧侶をご存知ですか

現役の看護師であり、高野山で200日余り修業されたという僧侶でもある方の、どちらかと言えば「臨床宗教師」としての色合いの濃い活動の日々が、先日、NHKテレビの「クローズアップ現代+」という番組で取り上げられました。

看護師としてでもなく僧侶としてでもないユニークな活動を続けている仲間がいる――。
そんな話を、1年ほど前にある看護職の方からうかがっていて、いつか直接お話をうかがうことができたらと思っていました。
それだけに、大変興味深く番組を視聴させていただきました。

延命治療が進む昨今にあって、自然な最期の迎え方を説くという、想像していた以上に奥の深い活動ぶりに、私自身、深く考えさせられました。

『死にざま指南 看護師僧侶が説く』といった番組タイトルに魅かれて、この番組をご覧になった方も多いと思います。
一方で、見逃された方も少なくないと思いますので、今日は放映された内容を織り交ぜつつ、その方の、人の死に向き合う姿勢の変遷ともいうべき部分を紹介させていただきます。

看護師僧侶が問いかける
人の自然な死を知るということ

その方とは、玉置妙憂(たまき みょうゆう)さんです。
現役の看護師として活動を続けながら、僧侶としての修業を積んだうえで、資格をとって臨床宗教師となり、人が人として自然で穏やかな最期を迎えるための活動を行っています。

番組は、ある看護専門学校の卒業式に招かれた、剃髪して作務衣姿の玉置さんが、目の前に並ぶ学生たちに、こんなふうに問いかけるところから始まっています。
「皆さんが勉強されてきたカリキュラムの中に、人の死ということをきちんと学ぶ時間がありましたでしょうか……」

この問いに続き縷々語っていくなかで、玉置さんはこんな話をしています。
「(延命治療が当たり前のように行われている今の時代は)、死というものを操作できるようになってしまった――。昔はもっとシンプルでした。食べられなくなったら、飲めなくなったら、選択する余地なく終わりだった。でも今は、胃に直接栄養を入れることができます。心臓が止まるかと思ったら、薬を使って動かすこともできます。いったいどこで線引きをするのかということが曖昧になってしまっているのです」

今では、どの治療が延命治療なのかさえよくわからなくなっています。
そんな時代だからこそ、延命治療をせずに自然な死を迎えるときに、人のこころとからだにどんな変化が起きてくるのかということを、しっかり胸に刻んでおいてほしい――。
そんなふうに学生たちに諭しているのだと、私は受け取りました。

看護師僧侶になるきっかけは
自然死を遂げた夫の死にざまにあった

玉置さんもかつては、看護師という医療のプロとして、延命を図ることに常に全力で取り組むべきだと信じていたそうです。
その考えに疑問を持つようになったのは、今から10年ほど前、最愛の夫、哲さんに膵臓がんが見つかったことがきっかけでした。

すい臓がんであることを告げられた哲さんは、手術をはじめとするいっさいの治療を拒み、人生の最終章を自宅で自然にゆだねて過ごすことを望んだのです。

この意思を伝えられたときの玉置さんは、看護師としても、また家族としても是非治療を受けてほしいと考えます。
そこで、哲さんの説得を試みるのですが、彼の固い意思は変わらず、自宅のベッドに横たわったままゆっくりとからだが衰え、死へと向かっていったそうです。

夫が死に向かって変わっていく様子を、そばでじっと見守っていた玉置さんは、そのときの体験をこんなふうに語っています
「点滴もしなかったので、ほどよく枯れていくんです。本当の意味で、物理的にドライになっていくのですが、それはある種、とても衝撃的で……。いやぁー、きれいなもんだなっていうか、素晴らしいな、美しいなって、感じたんですよね」

玉置さんは延命治療そのものを否定しているわけではありません。
できる限りのことをして生き永らえたいと望む人がいても、それはその人の人生観として認められるべきだと考えているようです。

しかし、夫である哲さんの死にざまを見守るなかで、それまでの延命を最優先にした死にゆく患者との向き合い方は間違っていたのではないか、と考え始めたと語っています。
また、死を迎えようとしている人を救うのは、医療なのか宗教なのかの二者択一ではなく、同時進行で救うのがいいのではないかと考えるようになった、とも語っています。

看護師僧侶として
訪問スピリチュアルケアに取り組む

最近の玉置さんは、「最期まで住み慣れた家で暮らしたい」と望む在宅療養者とその家族のこころを支える「訪問スピリチュアルケア」の活動に力を入れています。
その活動拠点となっている「大慈学苑」のホームページを見てみると、そこにはこんな一文があります。

看護師として医療の現場を見てきました。
ケアマネとして厳しい介護の現状を痛感しました。
妻として夫の最期を家で看取りました。 
そして、どうしても、科学だけでは解決できない問題があることに気づいたのです。
だから、僧侶として人の「魂(スピリチュアル)」を看ていきたいと思いました。

医療側と患者側のギャップ。 
“からだの治療”と“こころのケア”のアンバランス。 
“死に逝く人”と“死を知らぬ看取る人”の葛藤。 
持ちだすだけで疲弊していく家族、医療・福祉従事者の苦悩。 
これらの問題を紐解くには、〈魂(スピリチュアル)〉と〈科学〉を合わせた視点で「生老病死」「家族」「医療・介護」「地域社会」のつながりを捉えていくことが必要だと思いました。 
慈愛に満ち満ちた大きな流れを。そして、それを次の世代に。 
それが、私の使命だと思っています。

(引用元:「大慈学苑」ホームページ

玉置さんが「訪問スピリチュアル」活動のモデルとしているのは、臨床宗教師が医療チームの一員として加わり、人生の最終段階にある患者のケアを行うという、世界でも珍しい医療を進めている台湾大学の先駆的取り組みです。

臨床宗教師がきちんと医学教育を受け、末期患者の心理や終末期に多く行われる医療処置などの専門知識を学んでいるという話には、正直感心させられます。

さらに、羨ましくさえ思ったのは、今私たちの国ではまだ緒に就いたばかりの「もしものとき」に備えるアドバンス・ケア・プランニング(ACP、愛称「人生会議」)を支える法の整備が、着実に進んでいるという点です。

人のこころをケアするのは技術でも資格でもない

尊厳死を認める法律に関する話は、少々複雑になりますので、日を改めてまた書いてみたいと思いますが、締めくくりとして、この番組の最後に玉置さんがこころのケアということに触れて、とても貴重な発言をされていますので、紹介しておきましょう。

「人のこころをケアするのは技術ではなく、人それぞれのパーソナリティといいましょうか、生きてきた蓄積とでもいうものによるところが大きいと思うんですね。だから、資格があればできるというものではないわけで、どなたでも、本当に相手の方のことを考えてきちんと向き合えば自然に生まれてくる、波動というか、空気とでもいいましょうか、そういうものが作り上げてくれるものだと思っています」

なお、この放送内容の概要はコチラから見ることができます。
また、わが国における臨床宗教師については、別の記事でも書いていますので、参考にしてみてください。

終末期患者のケアでは、痛みや苦痛とは別の、生きることの意味とか死への恐怖といったスピリチュアルな苦痛を訴えられて対応に苦慮することはないだろうか。幸い最近は、まだ数は少ないものの、臨床宗教師と協働できるようになっていることをご存知だろうか。