感染蔓延の今こそナイチンゲールが説いた看護を

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感染管理の礎を築いた
ナイチンゲールに思いが

今や世界中が、新型コロナウイルスとの闘いの真っただ中にあります。

とりわけ強い感染力をもつとされる「変異株」や2つの変異があるという「二重変異株」の出現は、感染者の急増のみならず感染すると免疫力の低下を招き、さらにワクチンの効果にも影響を与える懸念が伝えられています。

国内で言えば、頼みの綱であるワクチン接種は遅々として進まず、感染率は高まる一方で、「医療崩壊の危機」が連日のように叫ばれています。

こうした事態を受けて政府は、新型コロナウイルスの感染再拡大に伴う3度目の緊急事態宣言を、4都府県に発令しています。

一方イギリスでは、ワクチン接種の展開プログラムが成功して感染率が劇的に抑えられたため、ロックダウン(感染拡大防止のために人の移動を制限すること。「都市封鎖」の意味で使われている)も大幅に緩和されたことが報じられています。

この違いは一体なにゆえなのだろう――。

そんなことを考えていて、クリミア戦争下の野戦病院における体験をもとに、感染管理の礎を築いたとされるフローレンス・ナイチンゲールのことが、ふと頭に浮かびました。

ナイチンゲールの母国では
コロナ感染状況が劇的改善

折しも5月12日は、ナインゲールの誕生日です。

昨年2020年は、ナイチンゲール生誕200周年を記念して、世界各地で祝賀式典やさまざまなイベントが予定されていましたが、コロナウイルスの影響で自粛を余儀なくされました。

折しもその時期、ナイチンゲールの母国であるイギリスでは、急増する新型コロナウイルス感染者のための仮設病院がロンドンに開設され、なんと「ナイチンゲール病院」と名づけられたと報じられていました。

この新設された病院で、ナイチンゲールが説いた「室内の空気に配慮すること」等々の感染対策の基本がどれだけ反映されていたのか、確かなところは現時点では知る由もありません。

しかしながら、昨年5月の時点では新型コロナウイルス感染症による死者が欧州で最多の3万人を超えていたイギリスで、今や新規感染者も死者も確実に減少し、一部の地域ではマスク着用の必要がなくなっているとのこと――。

そんな情報を見聞きするにつけ、おそらくナイチンゲールが健康や感染対策として説いてきたことが、様々なかたちで医療関係者のみならず国民の間にも深く浸透し、日々の生活のなかで確実に実践されているのだろうと思うのですが、いかがでしょうか。

統計学の実践者でもあった
ナイチンゲール

ご承知のように、ナイチンゲールは1854年、ロシアとトルコの間に勃発したクリミア戦争に、母国イギリスが参戦を決めたことを知ると、直ちに自ら志願して、38名から成る従軍看護団のリーダーとして戦地へ赴き、野戦病院で看護活動に励んでいます。

戦時下にあるこの野戦病院で、ナイチンゲール率いる看護師たちがことのほか力を入れて取り組んだのは、兵士たちが置かれているあまりに非健康的な環境を改善することでした。

驚くほど不衛生なままの状態で放置されていた病院のトイレ掃除を手始めに、病室の換気の確保、寝具類の洗濯、混ざり物のない水の確保、排水および下水設備の設置等々、間を置くことなく次々と取り組みました。

帰国後は、イギリス軍の戦死者の多くが、戦闘で受けた傷そのものではなく、傷を負った後に受けた治療や療養していた病院の衛生状態があまりに粗悪であったことが原因で死亡したことを、膨大なデータを分析し、グラフ化して明らかにしました。

この、実に見事だったと伝えられる戦地報告書は、ナイチンゲールが看護の優れた実践者であるだけでなく、統計学の実践者でもあることを国内のみならず広く世界に知らしめることになったわけですが……。

同時に、その報告書が伝える戦地の苛酷な実態が国を動かし、野戦病院の衛生状態や療養環境、そして兵士たちの食糧事情も大幅に改善され、兵士の傷病率や傷病兵の死亡率が劇的に低下したのでした。

「近代看護の母」として知られるナイチンゲールだが、実は統計学領域でも優秀な先駆者だったことが、厚労省の不正統計問題に絡み、改めてクローズアップされている。あのクリミアの戦地における活躍一つ見ても、看護研究が国を動かすこともあり得るのだと……。

看護が対象にすべきは
病人だけではない

ナイチンゲールが、クリミア戦争下の野戦病院において自らやって見せてくれたのは、怪我をした人の傷の手当てをしたり、病気で苦しんでいる人に薬や食事を与えることだけが看護ではない、ということでした。

「看護とは、患者の生命力の消耗を最小にするよう生活過程を整えること」
と、ナイチンゲールは定義しているわけですが、まさにそのとおりの実践だったわけです。

この看護観が、
「健康とは、良い状態を指すだけではなく、われわれが持てる力を十分に活用できている状態を指す」という自身の健康観から生まれていることは、改めて言うまでもないでしょう。

感染対策に逆らう人がなぜ出てくるのか

翻って、現在の新型コロナウイルスに振り回されている感の強いわが国の状況を見てみると、たとえば若者たちは、緊急事態宣言が発令されたその日の深夜に、「飲み屋はもう閉店しているから」と路上に座り込んで飲み会を開いていました。

一方では、マスクの着用を求められたいい歳をした男性が、マスク着用をかたくなに拒み、着用を促した男性に殴りかかるといった暴力事件も発生しています。

文字どおり緊急事態状況の只中にあるというのに、このような人たちが出現してしまう背景にはどのような問題があるのかと、つい考え込んでしまいます。

病気にかからないための
予防医学・保健活動を

おそらく彼らは、新型コロナウイルス感染症という病気が人から人に感染するものだということが本当の意味で理解しきれていないのだろうと思います。

さらに言えば、この感染症がウイルスで汚染された空気や、ウイルスが付着した物を介して感染すると言われても、それが自分の身にも起こりうるとはにわかに信じられないということではないでしょうか。

実はこのことは、これほど科学も医学もす進歩しているわが国において、国産の新型コロナワクチンの開発および実用化が大幅に出遅れてしまったことにも通じているように思います。

どうも私たちの国はこれまで、病気を見つけ、それを治療することには膨大なエネルギーを注いできたものの、健康の増進とか病気の予防ということについては二の次にしてきてしまったということではないでしょうか。

医学で言えば予防医学になるのでしょうか。

看護で言えば、人々の健康意識を高めるとか、人々が病気にかからないようにするためのノウハウを身に着けてもらい、それを実践してもらうといった保健活動にも、これまで以上に力を注いでいく必要があるのではないでしょうか。

まさにそれが、ナイチンゲールの教えなのではないかと、コロナ禍の最中にあってつくづく考えさせられているところです。

ナイチンゲールが看護の基本を『看護覚え書き』として著してから、160年が経とうとしている。そこでは「看護観察」の大切さが説かれ、その観察では「できないこと」ではなく「できること」に視点を置き、その人の持てる力を最大限生かせるように働きかけていこうと説いている。