終末期ケアに生かしたい「もしバナゲーム」

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令和6(2024)年度診療報酬改定では、入院料算定の施設基準に、原則すべての病棟において「アドバンス・ケア・プランニング(ACP)を繰り返し行い、人生の最終段階における医療・ケアを本人の意思決定を基本に行うこと」が加えられ、そのために提示された意思決定支援*¹が行われていない場合は、診療報酬減算の対象となることが記されています。ここで紹介する「もしバナゲーム」は、患者や家族の希望に寄り添う意思決定支援のツールとして役立つのではないでしょうか。

患者との「もしバナゲーム」で
終末期について話し合う

このところ高齢者を中心に一般の方々の間でも、「もしバナゲーム」と呼ばれるゲームが注目されていることをご存知でしょうか。

「もしバナ」とは、「もしものときのための話し合い」の略とのこと。「自分の命があと半年だと言われたら、どんなことを大切に残りの時間を過ごしたいか」を、患者が家族や医療スタッフとできるだけ気軽に、かつ率直に話し合うきっかけになればとの思いから作られたカードゲームです。

制作したのは、亀田総合病院の蔵本浩一医師(疼痛・緩和ケア科)と、はな医院の原沢慶太郎医師(在宅医療専門医)のお二人です。

もともと米国で、終末期医療における医師と患者のコミュニケーション・ツールとして生まれた「Go Wish game」と呼ばれるカードを、日本語に翻訳。そこに4人が一組になってプレーするという独自のルールを加え、日本版として発表したものです。

このルールは、「人生を締めくくる時に何が大切か」をゲームをしながら話し合うことを通して、お互いの価値観の違いを知ったり、自分が大切に思っている価値観を再認識するきっかけになることを意図して付け加えられたのだそうです。

自らの人生の締めくくり方を考えることは、そのときまでの生き方を考えることにつながるというわけです。

「もしバナゲーム」を活用し
アドバンス・ケア・プランニングを

このところの医療現場において、「アドバンス・ケア・プランニング(以下、ACP)」(愛称「人生会議」)が求められていることは、先にコチラの記事に記しました。

「もしものとき」を考えて自分の意思を「事前指示書」に残すことから一歩進めて、その内容を患者・家族・医療者が話し合うアドバンス・ケア・プランニングの取り組みがスタートしています。そこでの看護の役割は「意思決定支援」にあるのですが……。

そこでも書きましたが、ACPでは、病気の種類や年齢に関係なく、余命わずかとなった自らの人生の最終章を想定することから始まります。

その最終章において、自分はどのような治療やケアを受けたいか、どのような治療は受けたくないかについて自らの考えをまとめ、家族や看護師ら医療スタッフと話し合いをもって合意を取りつけていくことになります。今やこの取り組みは、病院や在宅ケアの現場においてかなり普及しているようです。

最期のときを話題にするのは簡単ではないが……

過日、このACPを、終末期における意思決定支援として意図的に進めている看護師さんと訪問看護師さんを取材させていただく機会がありました。その際彼女たちは、患者から自らの最期のときについて考えていることを聞き出すのはそう簡単ではないと、一様におっしゃっていました。

特に在宅ケアの現場では、訪問を重ねていくなかで、利用者本人が終末期に望んでいることと、家族の考えが違うようだと気づくことが少なからずあるとのこと。そんなときは、本人同士で話し合ってもらえるように働きかけるそうですが、双方がお互いの気持ちをおもんばかって、なかなか本音を口にしてもらえずに悩むことが多いそうです。

まさにそんなときこそ、余命半年をゲームで体験する「もしバナゲーム」が役立つのではないかと思うのですが、いかがでしょうか。

カードを選ぶ作業を通じて
「自身の価値観」を認識していく

さてその日本版「もしバナゲーム」ですが、1セットに36枚あるカードのうちの、35枚を使ってプレーします。残りの1枚は、他のカードに代用可能なワイルドカードです。

カードには、「家族と一緒に過ごす」「家族の負担にならない」「機器につながれていない」「痛みがない」「不安がない」など、深刻な病を発症ないし、長年にわたり抱えている病気が重症化するなどして自分自身、あるいは家族が余命は短いと察したり告げられたリした時に「大切なこと」として口にすることの多いフレーズが記載されています。

日本版「もしバナゲーム」の制作者は、基本として4人でプレーすることを推奨しています(初版は4人でのゲームを想定して作成されていたが、第2版の「新もしバナゲーム」では、1人でも、2人でも、さらに多くの人数でもゲームできるように改定されている)。

プレー方法としては、まず各プレーヤーに手札として5枚ずつカードを配り、さらに場のセンターに場札として5枚のカードを表向きに並べ、残りのカードは積み札として、5枚並んでいる場札のセンターに裏向きにして積んでおきます。

そのうえでプレーヤーは、自分の手札のなかから不要なカード、つまり自分の価値観とは異なる、あるいはあまり大切とは思わないことが書かれているカードを1枚捨て、代わりに並んでいる場札のなかから自分の価値観に近いことが書かれているカードを1枚選んで、新たな手札にします。

「痛みは……」「呼吸苦は……」どうしてほしいか

この方法でプレーをしていくなかで、たとえば「痛みがない」と書かれたカードを拾いながら、「やっぱり痛みだけはとってほしいですよね」と話す人がいるかと思えば、「いや、私の場合は、呼吸が苦しいのだけは勘弁願いたい」とつぶやきながら「呼吸が苦しくない」と書かれたカードを拾う人がいたりするわけです。

さらには、それを聞いて「呼吸が多少苦しくても、呼吸器につながれた状態で延々と生かされるのはごめんですなぁ」と話しながら、5枚ある場札のなかから「機器につながれていない」と書かれたカードを拾う――。

このようなプレーを進めていくなかで、自分が大切にしている価値観を新たに認識し、同時に別のプレーヤーの価値観についても理解を深めていくきっかけともなっていく、というのがこのゲームの狙いどころのようです。

いのちの終わり方を考える
きっかけづくりを

ACPについては、先にコチラの記事で書いたように、「私の終末期はこんなふうにしたい」ということを事前に考えて整理し、書き留めておけるようにと、個々の病院や自治体が独自の「事前指示書」や「エンディングノート」などを用意するようになっています。

そんななかで、生命倫理研究者にして内科医師でもある箕岡真子氏が2006年という早い時期に著した『「私の四つのお願い」の書き方―医療のための事前指示書』(ワールドプランニング)などが、もしもの時に備えて「自分がどうしてもらいたいか」を家族や友人に書き残す書として、静かな人気となっているようです。

ただ、このような指示書を購入はしたものの、まだ生きているのに「死んでいくとき」について考えるのは「縁起でもない」と、考えること自体に抵抗を示す人も少なくないようで、「買ったままになっている」という話もよく聞きます。

そんな方に、この「もしバナゲーム」を提案し、ゲームを楽しみながら、普段考えることのない人生の終わり方についてオープンに考える風潮を根づかせることができたら、私たちの終末期、そして生き方自体も少しは変わってくるのではないかと思ったりしています。

終末期をどう定義していますか

なお、「終末期」という言葉はあまりに漠然としたまま日常的に使われているように思いますが、あなたはどう定義しておられますか。よかったらこちらを参考に、ご自分なりの定義を決めておかれることをお勧めします。

「透析中止の選択肢」提示の是非を問う報道が続いている。批判的な声のなかに「若いからまだ終末期ではない」とあるのが気になり、医療現場における「終末期の定義」と「終末期の判断」がどう定められているか、終末期医療に関するガイドラインに探ってみた。

参考資料*¹:令和6年度診療報酬改定の概要説明資料 P.26