デスカンファレンスに臨床宗教師の参加を

対象喪失

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デスカンファレンスにおける
グリーフワークと臨床宗教師

先に、「傾聴」のプロである臨床宗教師ら宗教者の有志が取り組んでいる、「カフェ・デ・モンク」という移動傾聴喫茶のことを紹介させていただきました。

この傾聴喫茶は、ときに病院のラウンジなどでも開設され、死期の迫っている患者さんやその家族、あるいはがんの転移やがん末期であることを告げられて精神的苦悩にさいなまれている患者さんたちの話に耳を傾け、揺れ動くこころの動きに寄り添う活動を続けています。

このような活動をしている臨床宗教師に、病棟で行われるデスカンファレンスに参加してもらい、終末期ケアで心底疲れ切っている看護師のみなさんのグリーフワーク、つまり喪の仕事を手伝ってもらうというのはどうだろうか……といったことを、カフェ・デ・モンクの記事の末尾の部分でちょっとだけ書かせていただきました。

「カフェ・デ・モンク」と呼ばれる移動喫茶室で宗教者らが悩める人びとの苦悩に耳を傾ける活動が広がっている。この活動の生みの親である臨床宗教師の金田僧侶は、傾聴のコツを「ただ聴くことではなく、相手の物語を共有しようとすること」と説いている。

程なくして、この記事を読んでくれたという一人の看護師さんから、「記事で触れている、デスカンファレンスに臨床宗教師の参加を是非実現させたいのですが、もっと詳しい情報はないでしょうか」といった問い合わせメールが届きました。

そこで今回は、このメールにお応えする気持ちで、少し書いてみたいと思います。

デスカンファレンスでは
看取った患者への思いを語る

看護師さんが取り組んでいるデスカンファレンスについては、直接お話をうかがったり、研究レポートを読ませていただくなかで、正直、いつも物足りなさを感じていました。

この「物足りなさ」については、先にこちらの記事でも書いています。要するに、病棟で日常的に行われている事例検討のカンファレンスと、あえて「デス」という冠を付けたカンファレンスとの違いが鮮明に伝わってこない点に、物足りなさというか納得できない思いがあったように思います。

患者を看取った後のデスカンファレンスは、看取りにかかわった人たちのグリーフケア(悲嘆ケア)のひとつとして重要な意味を持つ。そこでは看取った後の自分たちのこころの動き、対象喪失感情を吐露し合いグリーフワークを行うのが理想なのだが……。

たとえばリエゾン精神看護専門看護師の平井元子さんは、著書『リエゾン―身体(からだ)とこころをつなぐかかわり 』*¹の「看護師のこころを守る」という章のなかで、患者さんを看取った後に看護師さんが体験することの多い心理反応の一例として、「対象喪失感情」としての悲しみをあげています(p.165-178)。

対象喪失の苦痛から救われる唯一の道は死者への思いを語ること

「対象喪失感情」というのは、簡単に言えば、生き別れにしても死に別れにしても、自分が愛情を感じて大切に思っていた人、依存というほどではないもののこころから頼りにしていた人を失ったときに、おそらくは誰もが経験するであろうさみしさや悲しみということになろうかと思います。

このような「悲嘆」という言葉で説明されることの多い感情について、精神科医として、また精神分析医としても著名な小此木啓吾(おこのぎ・けいご)医師は、著書『対象喪失―悲しむということ (中公新書 (557))』*²のなかで次のように記しています。

愛する人、頼っていた対象を失ったわれわれは、ただ一人、自分のこころのなかだけでその思い出にふけり、こころを整理しようとすればするほど、その思慕の情はつのり、対象がいま、そこにいない苦痛は耐えがたいものになる。絶望と孤独、さみしさでいっぱいになる。そしてこの苦痛から救われる一つの道は、死者への思いをだれかよい聞き手に語ることである。

(引用元:『対象喪失―悲しむということ』*² p.101)

グリーフワークの最適な相手は
臨床宗教師ではないだろうか

ここで注意したいのは、デスカンファレンスで看取った患者への思いを語る、いわゆる「喪の仕事」、今風に言えば「グリーフワーク」を行う際に、相手は誰でもいいというわけではなく、「よい聞き手」に語ることが大切だとしている点です。

誰にも語ることなく自分独りでその思い出にふけるよりは、同僚でも友人でもいい、ほかの誰かに語ったほうがいいというわけです。その際に、まず考えるべきは「よい聞き手」を選ぶこと――。

この聞き手として小此木医師は、宗教家を挙げ、その理由として、「喪の仕事の伴侶になることこそ古来からの宗教家の基本的な天職であった」からだと説明しています。とはいえ、肝心の宗教家が身近にいないなら、ほかに適切な人を探すしかありません。

だとしたら、現に臨床宗教師として、医療現場において患者や家族を対象にスピリチュアルケア*を行ったり、遺族への喪の仕事をしている方が身近におられるわけですから、看護師さんのグリーフワークに彼らの力を借りない手はないだろうと思うわけです。

*スピリチュアルケアについてはいくつかの定義があるが、対人援助・スピリチュアルケア研究会は、「終末期がん患者に限らず、人生のさまざまな場面・状況で生きる意味を失い、自分に価値をおけなくなった人、生きることの無意味、空虚、孤独、疎外感を感じている人のスピリチュアルペイン(自己の存在と意味の消滅から生じる苦痛)を和らげる、軽くする、なくすケアのこと」と説明。医療職など対人援助専門職を対象とした研修を各種行っている。研修会の詳細は同研究会ホームページを参照されたい。

デスカンファレンスへの参加に
臨床宗教師側は積極的だが

そこで、臨床宗教師が誕生する以前から、医療現場における宗教者の活動について意見を交わしてきた曹洞宗の僧侶で、臨床宗教師でもあるS氏に、メールでこう尋ねてみました。

「病棟で開かれているデスカンファレンスに臨床宗教師の方に参加していただいて、看護師さんのグリーフワークの相手になっていただくことは可能でしょうか」

即座に返信メールが届きました。

「こちらとしては基本的にはOKです。ただし病院によっては、臨床宗教師によるスピリチュアルケア自体、受け入れに抵抗を示すところがあります。それには地域差もあるようですから、全面的にOKとは言えないのが残念なところですが……」

電話してさらに詳しく聞いてみると、医師の了解をとるのが難しいケースが多いとのこと。

しかし、「看護師さんの説得次第といった側面もあるようですから、まずは看護師さんサイドから最寄りの臨床宗教師会に相談し、そのうえで医師や病院側に掛け合ってみてはどうでしょうか」と言います。

各地の臨床宗教師会の連絡先はコチラにあります。関心のある方は、直接働きかけてみてはいかがでしょう。

参考資料*¹:平井元子著『リエゾン―身体(からだ)とこころをつなぐかかわり 』(仲村書林)

引用・参考資料*²:小此木啓吾著『対象喪失―悲しむということ (中公新書 (557))

参考資料*³:対人援助・スピリチュアルケア研究会ホームページ