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仮想現実(VR)体験を活用し
死を前にした方の気持ちを穏やかに
そろそろ人生の幕を閉じようとしている終末期のがん患者にどのようなケアをしたら、穏やかな気持ちで過ごしてもらうことができるのだろうか――。
終末期の緩和ケアに取り組んでいる看護師さんの多くは、こんなことを考えながら文字通り苦心惨憺の日々を過ごしておられることと思います。
このような疑問に、たとえば四半世紀もの長きにわたり緩和ケアに取り組んでおられる小澤竹俊(おざわたけとし)医師は、著書*¹のなかで、死を目前にした方が心穏やかに過ごせる条件として、「痛みが少ないこと」と並び「希望の場所で過ごせること」「故郷の話をすること」をあげています。
ちなみに、小澤医師の活動については、こちらでも紹介しています。
終末期にあるがん患者を中心に緩和ケアに取り組んでいる看護師さんに聞いてみても、自らの死が近いことを察知した患者が、「思い出の場所にもう一度行ってみたい」「一日でもいいから自宅に帰りたい」と希望するのは、確かによくあることのようです。
患者のこのような希望をなんとかかなえてあげようと、仮想現実(バーチャルリアリティ:VR)の装置を活用して効果をあげているという、なんとも興味深く斬新な情報をキャッチしましたので、改めて詳細を調べてみることにしました。
終末期患者が病室にいながら
VR装置で希望する所へ行ける
ゴーグル型のヘッドセットを装着するとVR体験ができるという、水中眼鏡をひとまわり大きくしたような装置を終末期にあるがん患者の緩和ケアに活用しているのは、兵庫県芦屋市にある市立芦屋病院の緩和ケア病棟です。
患者がこのVRゴーグルを活用すると、痛みなどの症状のために行動が制限されて外出がままならない状態にあっても、病室にいながらベッドの上で、「行きたいところ」へ出かけて行き、しばしそこでの時間を楽しむという疑似体験をすることができるのです。
このユニークな取り組みを発案し、緩和ケア病棟のスタッフに話を持ちかけたのは、2014年から当院薬剤部で非常勤薬剤師として緩和ケアにかかわっている大阪大学大学院薬学研究科助教の仁木一順(にきかずゆき)さんです。
2017年11月から2018年4月にかけ、研究への参加に同意の得られた20人の入院患者にこのVR疑似体験をしてもらったところ、「気分の落ち込みが改善する」などプラスの効果が確認できたことを論文*²にまとめ発表しています。
360度カメラで家族が撮影した
自宅の映像をVRゴーグルで鑑賞
そもそものきっかけは、2017年の院内カンファレンスで、帰りたくても帰れない患者のために、少しでも自宅の雰囲気を味わってもらおうと、家族が自宅のカーテンを持ち込んで病室を模様替えしたところ患者がとても喜んだ、という事例報告を聞いたことでした。
この報告に、終末期における緩和ケアにおいて、その人が慣れ親しんできた環境づくりをすることの大切さを実感したそうです。同時に仁木さんは、その慣れ親しんできたという空間をVR映像で疑似体験してもらうことを思いついた、とのこと。
この疑似体験により、薬だけでは解決できない苦痛や苦悩を少しでも和らげることができるなら、そのことによって多少なりともQOLの向上を図れるのではないかと、考えたのです。
そこで、臨床研究に必要な手続きを踏んだうえで、たとえば「自宅にもう一度帰りたい」と希望する患者には、家族に360度カメラで病前の患者がよくくつろいでいた自宅のリビングや、そこに置かれたソファに坐って眺める庭の景色などを撮影してきてもらいます。そして患者にその映像を、VRゴーグルで鑑賞してもらうということを試みました。
あるいは夫婦でよく旅行したという思い出の旅行先や患者が育った故郷など、その人が「もう一度行ってみたい」と望む土地や場所を撮影してきてもらいます。
その土地が遠方だったり海外という場合は、衛星写真によるグーグルマップのVR版「グーグルアースVR」上にその地を探し出し、その映像を活用して(ちなみに無料で利用できます)、あたかもその場にいるかのような臨場感を体験してもらいます。
VRで外出体験をしているときは
病気のことを忘れられる
このようなVR体験について仁木さんら研究グループは、体験前と体験後の症状などにみられる変化を評価しています。
その結果から、終末期のがん患者のVR装置を活用した疑似外出体験は、患者に深刻な副反応を引き起こすことなく、心身両面の症状を緩和してQOLを改善する可能性が期待できる、と結論づけています。
ちなみに、この研究においてVR疑似外出体験前後に評価したのは、終末期がん患者によくみられる代表的な9つの症状(痛み、倦怠感、眠気、吐き気、食欲不振、息苦しさ、気分の落ち込み、不安、全体的な調子)および感情面(楽しみ、幸福感)での変化、さらにVR体験の副反応として起こり得るめまいや頭痛の状態です(詳しくは先の論文を参照のこと)。
折しも、あるニュース番組*³の取材を受けた仁木さんは、このVRによる疑似外出を体験した患者に共通して聞かれた感想として、「こんな体験ができて嬉しかったし、楽しかった」との声を紹介していました。なかには、「VRをしているときは病気のことを忘れられる」との感想もあったそうです。
薬が効かない苦痛の緩和に
VRによる疑似外出体験の活用を
終末期に限らず、またがんに限定することなく、いまや緩和ケア技術は著しく進歩しており、患者が訴える痛みなどの苦痛は、かなりのところまで取り除いたり和らげることができるようになっています。
がしかし、薬が効かない苦痛や苦悩はいまだ残されたままです。それが多くの患者を苦しめているのです。
このような患者に少しでもこころ穏やかな気持ちで人生の最終段階の日々を過ごしてもらうケアの一つとして、VRで「行きたいところへ出かけて行く」「ゆかりの地で過ごす」という疑似体験を緩和ケアに取り入れてみる価値はありそうです。
幸いなことに、いまやVR体験は、専用のゴーグルとインターネット環境さえあれば誰でも簡単に体験することができるようになっています。
しかも、わが国では5G回線が使えるようになっていますから、これまで以上に大きなサイズの情報のやり取りができるようになり、そのぶん患者にはこれまで以上にリアリティのある映像を楽しんでもらえそうです。
ただ、VRゴーグルのなかには、精度が上がれば上がるほど終末期の患者には少し重すぎるタイプのものもあるようです。また、リモコン操作が複雑にもなってきますから、その辺のところを十分配慮したうえで、どんどん活用してみてはいかがでしょうか。
参考資料*¹:小澤竹俊著『死を前にした人に あなたは何ができますか?』(医学書院)
参考資料*²:仁木一順:緩和ケア領域におけるバーチャルリアリティ応用―終末期における試み,医学のあゆみ,26(8),2019,p.587-591
参考資料*³:FNN.プライムニュース2019/6/17)