臨床宗教師が説く「傾聴」の5つのコツ

対話

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傾聴してこころを支える
臨床宗教師たち

このところ、私たちの国のあちこちで「カフェ・デ・モンク(Cafe de Monk)」という移動式の喫茶室が開かれているのをご存じでしょうか。

仲間や友人とのおしゃべりだけではとうてい解決できないような、こころの奥深いところにある悲しみや悩みを聴いてもらえる場所として、徐々にながら広く一般にも認知され始めているようです。

数ある「カフェ・デ・モンク」のなかには、がんセンターや緩和ケア病棟のある病院等の求めに応じて出かけて行き、病棟のラウンジなどで「カフェ・デ・モンク」を開設しているところもあるようです。

そこには、死期の迫っている患者やその家族、あるいはがんの転移やがん末期であることを告げられて落ち込む患者の話にじっと耳を傾け、そのこころに寄り添い続けている臨床宗教師ら宗教者たちの姿がみられます。

臨床宗教師らがそこで行っているのは、「傾聴」によるこころの支えであり、救済です。「カフェ・デ・モンク」を訪れ、小一時間彼らに話を聴いてもらった人たちは一様に、「こころが楽になった」といくらかは和らいだ表情で帰っていくそうです。

傾聴のプロである
臨床宗教師が説く「傾聴のコツ」

この「カフェ・デ・モンク」の生みの親は、宮城県栗原市にある曹洞宗・通大寺(つうだいじ)の住職で臨床宗教師でもある金田諦應(かねたたいおう)さん。金田さんは、2011年3月に起きた東日本大震災直後から、宗派を超えて僧侶や牧師、神父、神主などの宗教者に呼び掛け、被災地を中心にボランティア活動を続けてきました。

活動のモットーは、「修道者(monk:モンク)があなたの文句を聴いて一緒に悶苦(もんく)します」――。この活動で得られた知見として、「悩める人の声をどのように聴いていくか」「声なき声や体から発せられる声をどのように聴いていくか」が、著書『傾聴のコツ: 話を「否定せず、遮らず、拒まず」』にまとめられています。

以下の5章から成る本書には、「カフェ・デ・モンク」でのエピソードとともに、傾聴する際の姿勢のあり方や心構えなどがまとめられています。

1章 傾聴とは、相手の話に「共感」すること
いま「話を聴ける人」が求められている
「聴く力」がある人は信頼される ほか
2章 傾聴とは、相手の「物語」を受け入れること
相手を映し出す「鏡」になる
相手の心をどうほぐすか ほか
3章 傾聴とは、「身近な人」を幸せにすること
いま、こんな「語り合う場」が必要
“傾聴効果”を高めるちょっとした演出 ほか
4章 傾聴とは、他人との「境界線」をなくすこと
「聴ける人」になるための普段の心がけ
世の中のたくさんのことを知る ほか
5章 傾聴とは、「自分」をもっとよく知ること
自分の「思考のクセ」を知ることの大切さ
不用意な一言を発してしまわないために ほか

(引用元:「傾聴のコツ」*¹目次より)

黙って耳を傾けることが
本当の傾聴ではない

本書で金田さんは、傾聴の極意を「慈悲のこころである」と断言しています。ここで言う「慈悲」は、いわゆる仏教用語です。

知人の臨床宗教師に聞いたところ、「慈悲」とは、仏教のなかでも最も大切だとされる教えの一つで、その意味は「すべての生き物が苦しみから解き放たれ、幸せを得られますように」と願うこと、と教えてくれました。

このように願う、つまり傾聴する過程においては、傾聴している側の、一般論としての価値観の押し付けや安易な「わかります」という一言は、ときに取りかえしのつかない失望をもたらすと、金田さんは指摘しています。

「そうですね」とか「わかります」と相槌を打ちながら受け身に徹するのではなく、相手が抱えている物語を、時間をかけてでもなんとか理解しようとすることが大事だ、と。

この点については、リエゾン精神看護専門看護師の平井元子さんも、著書『リエゾン―身体(からだ)とこころをつなぐかかわり 』*²のなかで、こんな疑問を呈しています。

医療や看護現場で行われている一般的な「傾聴」のイメージは、徹底的に相手の話を「聴く」というイメージが強いのではないだろうか、と――。

そのうえで、とかく看護師は、相手の話をただ聴いているだけで、相手が言いたがっていること、伝えようとしていることを、自分なりにどのように受け止めて理解したのかということを相手に伝えて確認しようとする姿勢、つまり金田さんがいうところの「物語を共有しようとする姿勢」が弱いのでないかと指摘しているのです。

ただ黙って聴いているという「受動的傾聴(Passive Listening)」ではなく、相手の話を聴くときに、相手が話していること、つまり物語を誤解して受けとらないように確認しながら、その物語を共有していく――。

こうした「積極的傾聴(Active Listening)」こそが、「この人と話すと、こころがラクになる」と思ってもらえるコツのようです。

看護においては「傾聴する」ことの大切さが強調される。ただこの「傾聴」は、相手が話すことをただじっと聴いていればいいというものではない。聴いて理解したことを相手に伝えることの繰り返しにより、双方が納得して合意できることが大切だという話を。

終末期ケアに参加して
スピリチュアルな苦悩を傾聴

宗教というバックグラウンドのある金田さんのような臨床宗教師の方々は、苦しみながら生き続けることへの疑問とか死への恐怖など、こころの深い部分での、いわゆるスピリチュアルな痛みにも、正面からきちんと向き合う修練を積んでいます。

そんな臨床宗教師の方々と手を携えて終末期にある患者のケアを行うことができたら、当事者である患者や家族はもちろんのこと、そこにいる看護師さんも精神的にずいぶん救われると思うのですが、いかがでしようか。

幸い、臨床宗教師の数はこのところ大幅に増え、終末期医療の現場にも、また在宅ホスピスの場にも積極的に参加するなど、活動の場が目に見えて広がっています。

金田さんはまさにその第一人者ですが、日本スピリチュアルケア学会認定の「スピリチュアルケア師」として、スピリチュアルケアの普及や教育といった活動にも力を入れています。

スピリチュアルケア師の活動について知りたい方は、日本スピリチュアルケア学会が作成、公表している活動紹介の三つ折りリーフレット「スピリチュアルケア師とは」*³をご覧ください。

デスカンファレンスにも参加を求めては?

できれば、病棟などに最近普及しているデスカンファレンスの場にも臨床宗教師の方に参加していただき、看取りにより精神的に消耗している看護師の方々の苦悩を傾聴し、グリーフケアをしてもらえたら、などと考えたりするのですがいかがでしょうか。

デスカンファレンスと通常の事例検討のカンファレンスとあまり変わりがないのではないか。そんな疑問から、冠に「デス」が付く意味を考えた。患者を看取った後の自らのうちにある「対象喪失感情」に目を向けてこそ、デスカンファレンスの意味があるのだが……。

引用・参考資料*¹:金田諦應著『傾聴のコツ: 話を「否定せず、遮らず、拒まず」』(三笠書房)

参考資料*²:平井元子著『リエゾン―身体(からだ)とこころをつなぐかかわり 』(仲村書林)

参考資料*³:日本スピリチュアルケア学会編「スピリチュアルケア師とは」