生活の再構築を必要としない患者はいるだろうか

リハビリチーム

「生活の再構築」と
リハビリテーション看護

年に3回ほど集まり、一緒に食事をしながら近況を報告しあう仲間がいます。私以外はみなさん看護職ですが、年齢も専門分野もバラバラ、病院勤務もあれば在宅ケア経験の長い方、大学教員もいるといった具合に職場もバラエティに富んでいます。

ただ、いずれも35歳を超えた女性です。ですから、話の始まりはいつも「この季節は肌が荒れるわよね」「あなたの肌はずいぶんしっとりしているけど、何か特別なことをしているの?」といった、女性が集まれば必ず登場する話題で盛り上がります。

ひとしきり女子トークを楽しんだところでYさんが、「生活の再構築をするリハビリテーション看護って、まさに看護そのものだと思わない?」と言い出したのです。

結局その日の食事会は、この話に終始したのですが、そのなかに、とても意味深い発言がいくつかありましたので、今回はその一部を紹介してみたいと思います。

リハビリにおける
看護師の役割を問われ

Yさんは回復期リハビリテーション病棟で看護師長の任に就いて3年になります。先の発言のきっかけは、最近になって急性期病棟から異動してきた20代の看護師さんから、こう訊ねられたことにあるといいます。

「リハビリテーションにおける看護師の役割って何ですか?」

「あなたはどう思う?」と問い返したところ、こんな辛辣な答えが返ってきたそうです。

「先輩たちがリハビリ看護としてやっていることは、リハビリ職の方々がやっていることと大差ないから、彼らに任せていいのではないかと思うんです」

さらにこうも指摘したそうです。

「実際、先日院内で開かれたリハビリ看護の勉強会でも、講師に理学療法士さんを招いて、技術的なことを話してもらったわけで……。そうなると、看護師がリハビリのまねごとをやってもあまり意味がないように思うんです」

リハビリ看護の独自性は
その人らしい生活の再構築

新しくやってきた後輩からの、この遠慮のない、あまりに正直過ぎる言葉に、「痛いところを突かれたと思った」とYさん。一息ついて、こう続けました。

「確かに訓練ということでいえば、看護師もリハビリの専門家たちもやっていることは表面的には同じように見えるかもしれない。でも、そのベースにある考え方には、生活の再構築という面において看護独自のものがあるから、実際にやっていることには微妙な違いがあるわけで、その辺のことをしっかり伝えていく必要があるのだろうと反省させられた――」

これを受けて、ワイングラスを片手に、時々軽くうなづきながらYさんの話を聞いていたNさんが、次のように返しました。彼女は看護大学で教鞭を執っています。

「その看護独自のことって、その人らしい生活を再構築するということでしょ。看護師はそのことを常に考えながらやっているということでしょ」

看護師は継続性をもって
生活の再構築を考える

Nさんの専門であるがん看護の領域でも、最近では、厚労省が研修会を開催するなど、国をあげてがん患者のリハビリに力を入れ始めています。

がん治療中は静かにして治療に体力・気力を集中させるのがいいと考えがち。だが、治療中こそ「がん関連倦怠感」防止のため、またサバイバーシップを高めるためにも動くべきだと、がんサバイバーのリハビリテーションが進められている。その一取り組みを紹介する。

訪問看護師の秋山正子さん等が中心となり東京・豊洲に設立したマギーズ東京*も、がん患者の社会復帰に向けたリハビリを意図したものといっていいでしょう。

*マギーズ東京とは、英国で2008年、がんサバイバー自身の発案により誕生したがんサバイバーの支援施設、「マギーズキャンサーケアセンター(通称。マギーセンター)」をモデルに、2016年10月、東京・豊洲にオープンした*¹。

こうした動きを受け、否応なく彼女も、「がんリハビリにおける看護の専門性」ということを、このところ改めて考えるようになったそうです。

「そこで再認識したのは、やっぱり私たち看護職は、その人らしさその人らしい生活ということを第一に考える職種だということなのね」

さらにこう続きます。

「もちろん、医師もリハビリ職もそのことは考えるけれど、私たちは、病気によって今までどおりにいかなくなっている生活のもろもろをいかにして元の生活に近づくように再構築していくかということを、継続性をもって考えていくわけで、そこが彼らとは違うでしょう」

つまりそこに、「リハビリにおける看護の独自性、専門性があると思うのよね」と――。

生活の再構築としての看護は
すべての看護師に求められる

ワインの影響もあって、話が少々理屈っぽくなってきたのを受けて、訪問看護師のキャリアが長いKさんが、こんなふうに話を解きほぐしてくれました。

「病気になれば誰だって、生活のあらゆる面で多少なりとも軌道修正が必要になってくる。そのとき看護職は、その人がこれまでどう生きてこられたのかということを振り返りつつ、家族や友人など周囲の人との関係性も見ながら、これからどう生活していくかを患者さんと一緒に考えて、生活を再構築する手助けをしていくということよね」

これをリハビリ看護と捉えるなら、「このようなかかわりは、領域の別なく、また急性期、慢性期に関係なく、すべての看護師が目の前の患者すべてに日頃やっていることだと思うの」

これを聞いて私の頭に、「リハビリテーションはすべての医師の務めである」というフレーズが思い浮かびました。

医療現場で取材をするようになってすぐの頃に読んだリハビリに関する本の中にあったものです。うろ覚えながら、確かラスクというアメリカのリハビリ医学の指導者の言葉だったと思います。

そのフレーズをみんなに伝えると、「それは医師だけでなく、看護職をはじめすべての医療者に共通して求められることよね」

「つまるところ、生活の再構築としてのリハビリ看護を必要としない患者なんかひとりもいないということにならないかしら」となり、いったんそこで合意が得られたのでした。

突き詰めるとナイチンゲール看護へ

この話には続きがあり、結局はナイチンゲール看護へと発展していきました。その話の概要をコチラにまとめてありますので読んでみてください。

ナイチンゲールが看護の基本を『看護覚え書き』として著してから、160年が経とうとしている。そこでは「看護観察」の大切さが説かれ、その観察では「できないこと」ではなく「できること」に視点を置き、その人の持てる力を最大限生かせるように働きかけていこうと説いている。

なお、ナイチンゲールについては、看護のみならず優れた統計学者としての側面も領域を超えて高く評価されています。この点に関心のある方はコチラも!!

「近代看護の母」として知られるナイチンゲールだが、実は統計学領域でも優秀な先駆者だったことが、厚労省の不正統計問題に絡み、改めてクローズアップされている。あのクリミアの戦地における活躍一つ見ても、看護研究が国を動かすこともあり得るのだと……。

参考資料*¹:マギーズ東京